ウクライナ大統領府顧問、10ヶ月間で1万人~1.3万人の兵士が失われた

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ポドリャク大統領府顧問はウクライナ軍兵士の戦死者について「約10ヶ月間でウクライナ軍は10,000人~13,000人の兵士を失った」と明かしたが、これが事実なら両軍の戦死者数(8月22日以降の数字)には10倍~40倍という差が生じることになる。

もし10倍~41倍もの差が出来るほどロシア軍の戦いが酷いなら戦線が崩壊して、もう戦いに決着がついているはずだ

ウクライナ軍はロシア軍兵士の戦死者を毎日発表しているが、自軍の戦死者数についてはゼレンスキー大統領が3月12日に約1,300人、4月15日に2,500人~3,000人、ザルジュニー総司令官が8月22日に約9,000人戦死したと明かしただけで、欧州委員会委員長が先月末「2万人以上の民間人と10万人のウクライナ兵士が死亡したと推定される(即削除)」と言及したため注目を集めたが、今度はポドリャク大統領府顧問が「約10ヶ月間の戦いでウクライナ軍は10,000人~13,000人の兵士を失ったが負傷者の方が遥かに多い」と明かした。

ウクライナ大統領府顧問、10ヶ月間で1万人~1.3万人の兵士が失われた

出典:President.gov.ua/CC BY 4.0

つまり8月22日以降の戦い=約3ヶ月間の戦いで1,000人~4,000人の兵士を失ったという意味だが、ウクライナ軍は同じ期間で44,000人以上のロシア軍兵士が戦死したと発表しており、両軍の戦死者数には10倍~40倍というとんでもない差が生じている。

幾らウクライナ軍が賢く戦いを進めたとしてもここまで差が出来るとは俄に信じがたく、10,000人~13,000人というウクライナ軍の戦死者数が少なすぎるか、ウクライナ軍が発表しているロシア軍兵士の戦死者数が水増しされているのかのどちらかだろう。

7月末以降に記録されたロシア軍兵士の戦死者数と戦線での動き
07月31日~08月06日 1,230人 HIMARSでヘルソン州のロシア軍を攻撃
08月07日~08月13日 1,500人 AGM-88HARMの投入、クリミアでの爆発
08月14日~08月20日 1,500人 クリミアでの爆発、ケチル市で初めて防空システムが作動
08月21日~08月27日 1,500人 HIMARSでヘルソン州のロシア軍を攻撃
08月28日~09月03日 2,550人 29日に南部司令部が反撃開始を宣言
09月04日~09月10日 3,200人 6日頃にハルキウ州で反撃を開始、バラクレヤとクピャンスクを解放
09月11日~09月17日 2,000人 イジューム解放、ハルキウ州のロシア軍がオスキル川西岸まで撤退
09月18日~09月24日 2,050人 オスキル川を渡河してリマン方面への反撃を開始
09月25日~10月01日 3,310人 オスキル川沿いやリマン周辺で拠点を解放
10月02日~10月08日 2,450人 リマン解放、ヘルソン州で反撃、ロシア軍が撤退を発表
10月09日~10月15日 2,620人 クリミア大橋爆発、ロシア軍による都市攻撃
10月16日~10月22日 2,370人 ロシア軍の攻撃で火力発電所の約半数が損傷
10月23日~10月29日 3,180人 前線に大きな変化なし
10月30日~11月05日 5,190人 前線に大きな変化なし
11月06日~11月12日 4,770人 ロシア軍が右岸から撤退、ヘルソン市解放
11月13日~11月19日 3,670人 ゼレンスキー大統領がヘルソン市訪問
11月20日~11月26日 2,830人 前線に大きな変化なし
11月27日~12月02日 3,380人 バフムート周辺でロシア軍が前進

もし10倍~40倍もの差が出来るほどロシア軍の戦いが酷いなら戦線が崩壊して、もう戦いに決着がついているはずだ。

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※アイキャッチ画像の出典:Сили територіальної оборони ЗСУ

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