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「勇気はお金では買えない」「使う能力がないと、自由は危険なものになる」――。哲学者のようにサッカーを語った人だった。
【写真】含蓄のある言葉で日本サッカーに大きな足跡を残したオシム氏
(写真:読売新聞)
サッカー日本代表元監督イビチャ・オシムさん(享年80歳)が亡くなって5月1日で1年になった。
母国の旧ユーゴスラビア代表をワールドカップのベスト8に導いた名将で、2006年7月から日本代表を率いた。わずか1年4か月で病に倒れ、惜しまれながら退任したが、機知と含蓄に富んだ言葉が記憶に残る。
代表監督時代にセルビア・クロアチア語の通訳として「語録」を紡いだのが、立教大学兼任講師の千田(ちだ)善(ぜん)さん(64)だ。
千田さんは今もオシムさんと過ごした日々をかみしめる。一人の元サッカー少年が、期せずして味わえた珠玉の時間を。(社会部 野崎達也)
思いを託され「語録」を紡いだ学者
「サッカーは人生と同じだ。何が起こるか分からない」
亡くなったサッカー日本代表元監督イビチャ・オシムさん(享年80歳)の口癖を引くなら、そういうことだろう。
元サッカー部の大学講師に突然の依頼
ベンチから指示を送るオシムさん(左)と通訳の千田さん(2006年8月9日、国立競技場で)
始まりは1本の電話だった。2006年7月下旬、千田善さん(当時47歳)の自宅の電話が鳴った。当時は中央大学の国際政治学の非常勤講師で、期末リポートの採点をしている時期だった。
「オシムさんの通訳を探すよう頼まれたの。日本サッカー協会の面接を受ける気ある?」。かけてきたのは、旧ユーゴスラビア出身の知人女性だった。数日前の監督就任会見をテレビで見ていた千田さんは、思わぬ依頼に驚いた。
オシムさんの通訳を務めた千田善さん。「オシムさんのメッセージは、今も多くの人に響くはず」と語る(4月28日、東京都豊島区の立教大学で)=佐藤俊和撮影
「ある、ある」と、二つ返事で答えた。一つは、高校の部活で汗を流した元サッカー少年としての好奇心から。もう一つは、オシムという人物への興味からだ。
(写真:読売新聞)
千田さんは東京大学を卒業後、1983年に共産主義圏の多民族国家・旧ユーゴスラビアに留学した。奨学金枠の事情で選んだ留学先だったが、そこでセルビア・クロアチア語を学び、民族対立から起きた紛争をジャーナリストとして取材したことがキャリアの出発点だった。
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