1969年、「Oh!モウレツ」というコピーとともに、ミニスカートをはためかせる女性が話題となった丸善石油のCM。モデルを務めた小川ローザさんの姿は社会現象となり、同年「オー、モーレツ!」は流行語にもなりました。一躍時の人となった小川さんですが人気絶頂の22歳でレーサーの川合稔さんと結婚。しかし、わずか半年後、レース中の不慮の事故で夫を失います。
■「こんな普通の子じゃダメだ」
── 昭和のCMで一世を風靡した小川さんですが、まずは芸能界に入ったきっかけを教えてください。
小川さん:文化服装学院に通っていたときに、モデル事務所の方からスカウトされました。でもそのときは興味がなくて、そのままにしていたんです。転機になったのは、21歳のとき。当時のボーイフレンドに振られたことがきっかけです。それまでは、人前に出るのも恥ずかしく自分に自信がなかったのですが、「自分を変えたい」と思ったんですね。それで、スカウトされたときにもらった名刺を思い出して、書かれていた番号に電話をかけ、モデルの仕事を始めました。
── そこから1年ほどで、社会現象にもなる丸善石油のCMに出演されたんですね。
小川さん:当時はモデルの人数が少なくて、お仕事をいただく機会がたくさんあったんです。1年ほどファッション誌で活動していたころに、丸善石油さんの「モーレツ」のCMのお話をいただきました。気づいたら、あれよあれよという間に話題になっていましたね。
私は特別背が高いわけでも痩せているわけでもありませんでした。なので、キャストを決める現場では、ほとんどの方が「こんな普通の子じゃダメだ」と反対していたそうです。でも、宣伝部の方が「普通の女の子のほうが印象に残る」と強く推してくださったおかげで、あのCMに出演することができたと後から聞きました。
■人気絶頂で結婚、芸能界引退を決意
── 22歳で一夜にして社会現象となりましたが、当時の心境はいかがでしたか。
小川さん:とにかく忙しかったですね。本当に、寝る時間もないほどお仕事をしていました。いただいたお仕事をこなすことで精いっぱいで、目の前のことに必死でした。少しでも時間があれば、とにかく寝る。そんな毎日でしたね。
話題になったことはもちろんうれしかったですが、移動する先々で多くの方に囲まれて、落ち着く暇がなかったように思います。






