「お金がなくても平気ですか?」この質問に「大丈夫」と答えることのできない現代社会の現実…日本人の心に巣くう「新しいカースト制」の正体


■誰もが心を寄せる世界宗教「お母さん教」

 「宗教とは何か」に対する答えはさまざまですが、ひとつには「自分の心のよりどころ」と定義することができます。仏教でも、キリスト教でも、イスラム教でもそれは同じです。そして誰もが心のよりどころにしたことのある「世界的な宗教」があります。

 小さいうちは、みなお母さん教ですよね。お母さんが心のよりどころだからです。私も長い間、お寺にある幼稚園の園長を務めているのでわかります。子どもたちはパパそっちのけで、「ママ!  ママ!」と言っています。

 そしてこのお母さん教と同じくらい強力になってきているのが、「お金教」です。人々はお母さん教を卒業し、お金教に入信していくわけです。

 お金教とは何か。それは、お金がないと不安になり、お金に安心を求めるものです。先のお母さん教は、ママがいないと不安になり、ママがいると元気になり、勇気が湧いてくる。心理的安全性を、母親に求めているわけです。その心理的安全性がお金に変わったのが、世界中を席巻しているお金教です。

 「今、お母さんがそばにいなくても大丈夫ですか?」

 そう聞くと、大人はたいてい「大丈夫」と答えるはずです。

■「お金を語れない」は僧侶として失格

 では、次の質問はどうでしょう。

 「今、お金がなくても大丈夫ですか?」

 この質問に「大丈夫」と答えられる大人はほとんどいないはずです。自分の預金通帳を見て、数字が増えれば安心し、減ったら不安になる。心理的安全性をお金に求めているからです。



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