10月21日、世界3大音楽コンクールのひとつである第19回ショパン国際ピアノコンクールで、桑原志織さん(30)が4位に入賞した。これまで数々の国際コンクールで受賞を重ね、ついに“最高峰”と評される舞台で名前を刻んだ。そんな桑原さんが、「自分の中のリミッターを少し外して弾いてみた」というコンクールの舞台裏や、聴衆の中からあがった「審査員の門下生という後ろ盾があれば優勝も狙えたはず」という声への受け止めについて、まっすぐな言葉で語った。
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――小学校の卒業文集に書いた将来の夢は「ショパンコンクールに出ること」。幼いころからの夢をついにかなえたのですね。
いえ、実は私がプロのピアニストを目指そうと決めたのは14歳のころなんです。卒業文集には、たぶん親から「せっかくなら大きな夢を書いておけば?」なんて勧められて、軽い気持ちで書いたのでしょう(笑)。
音楽一家でもなんでもない一般家庭で育ち、4歳から始めたピアノは長らく「習い事の一つ」に過ぎませんでした。小学生のころは宇宙飛行士など毎年将来の夢が変わっていたし、両親は世間的に安定しているとされる職業に就いてほしかったと思います。
ターニングポイントは、中学生になって、近所に住んでいた高名な音大の教授に演奏を聴いていただいたことです。当時、練習は乗り気になれないのに人前で演奏することは大好きだった私に、先生は「才能があると思う」と音楽の道を勧めてくださいました。
芸高(東京芸術大学音楽学部付属音楽高校)に入学すると、同級生は小学生の時からコンクールで名前が知られていた子たちばかりで、私は完全に“アウェイ”でした(笑)。でも、どんなに自分が下手くそだと思っても、誰かの前でピアノを弾くのが楽しいというポジティブなモチベーションは揺らぎませんでした。そのおかげで、今までピアノをやめたいと思ったことはほとんどありません。
■ミサイルが飛ぶ中、防空壕で出会ったアート
――ピアニストの役割、使命についてどう考えていますか。
2021年にイスラエルで開かれたコンクールで入賞し、現地での演奏ツアーに参加した時に一つの気づきがありました。滞在中、夜中にパレスチナからのミサイル飛来を知らせるサイレンが鳴り、ホストファミリーと防空壕に避難すると、内部の壁いっぱいにホストマザーが趣味で描いた絵が飾られていたんです。外で鳴り響く花火が上がるようなドーンという音に恐怖しながらも、空間を彩るアートが心に余裕を与えてくれました。
演奏会は1000人規模の大ホールが満席になり、厳しい現実の中でこそ、むしろ人は芸術を求めるのだと知りました。不要不急のものこそが案外、人間として生きる尊厳を守り、心が折れないよう支えているのかもしれないと。
音楽に大きな力があるかと聞かれたら、受け止め方は人それぞれなのでイエスともノーとも言えません。でもイエスと答えてくれる人にその力を感じてもらえるような演奏がしたい。そんな思いから、ショパンコンクール入賞後のインタビューでは、「ひとときでも現実の喧騒から逃れられるような瞬間をお届けしていきたい」と話しました。





