NHK朝ドラ「ばけばけ」のモデル、小泉八雲の「変人」伝説:研ぎ澄まされた感性の真実

NHK連続テレビ小説「ばけばけ」で、ヒロインが嫁ぐ外国人レフカダ・ヘブンとして描かれ、視聴者の注目を集めている小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)。彼は日本文化を深く愛し、世界に紹介したことで知られる一方で、歴史評論家の香原斗志氏によると、彼に関する史料には「変人」と評されるに足るさまざまなエピソードが記されています。しかし、それは単なる奇行ではなく、彼の研ぎ澄まされた感性から来る言動であったと指摘されています。本稿では、朝ドラでは描ききれない小泉八雲の意外な一面と、その背景にある真実に迫ります。

朝ドラ「ばけばけ」で描かれるレフカダ・ヘブンの「厄介な人物像」

朝ドラ「ばけばけ」の第6週「ドコ・モ・ジゴク」では、花田旅館の宿泊客であったレフカダ・ヘブンが、目の悪い女中ウメを医者に見せない主人・平太に激怒し、旅館を出ると言い出す場面が描かれました。また、新たな住まいに移る際、身の回りの世話をしてくれる女中を希望しますが、遊女のなみは「百姓出身だからダメ」と断り、士族の娘を求めるなど、かなり気難しい人物として描かれています。

ラフカディオ・ハーンの肖像画ラフカディオ・ハーンの肖像画

さらに、第7週「オトキサン、ジョチュウ、OK?」では、錦織友一が頼み込んだトキ(髙石あかり)の手や足を観察し、「彼女は士族の娘ではない。シジミ売りだ、だまさないでくれ」と英語で伝える場面もありました。長期間の機織り生活でたくましくなったトキの手足を見たヘブンは、士族の娘ではないと疑念を抱いたのです。最終的には、トキがラストサムライの娘だと伝えられ納得するものの、こうした描写からはヘブンの「厄介な人物像」が浮かび上がってきます。果たして、そのモデルである小泉八雲も、これほどまでに「変人」だったのでしょうか。

実像はさらに「変人」?妻セツの手足に見た「士族フェチ」の真実

結論から言えば、史実の小泉八雲は良くも悪くもかなりの「変人」であり、ドラマのトキのモデルである小泉セツや、錦織のモデルである西田千太郎も、その言動に振り回されることが多かったようです。

例えば、桑原羊次郎の著書『松江に於ける八雲の私生活』には、八雲が最初に滞在した富田旅館(「ばけばけ」の花田旅館のモデル)の女将ツネの証言として、次のような記述があります。「節子様の手足が華奢でなく、これは士族のお嬢様ではないと先生は大変不機嫌で、私に向かってセツは百姓の娘だ、手足が太い、おツネさんは自分を欺す、士族でないと、度々の小言がありましたので、これには私も閉口致しまして種々弁明いたしましても、先生はなかなか聴き入れませんでしたが、しかし士族の名家のお嬢さんに間違いありませんので間もなく万事目出度く納まりました」。八雲は極端に嘘を嫌い、また「士族フェチ」であったため、セツの手足を見ただけで身分を疑い、不機嫌になったとされています。これは、彼がどれほど自身の価値観に厳格であったかを示すエピソードと言えるでしょう。

「熊本は大嫌いだ」日本への幻滅を語った深い理由

島根県尋常中学校と師範学校で英語教師を務めた八雲は、松江で西田千太郎と意気投合し、深い友情を育みました。しかし、明治24年(1891年)11月に熊本の第五高等学校に招聘され、セツや他の家族と共に中国山地を越えて熊本に移住すると、彼の日本に対する見方は大きく変わることになります。

西南戦争で城下町が焼失し、近代化が進む熊本の姿は、八雲にはどうしても気に入らなかったのです。西田への手紙には「熊本が日本であるとは全然思われない。熊本は大嫌いだ」といった表現が溢れ、熊本での経験が嫌悪感に繋がり、ついには日本全体に対する見方まで変え、「地獄であるものを天国であると思い込んでいたのです」とまで書き残しました。長谷川洋二の『八雲の妻 小泉セツの生涯』によれば、熊本で受けた心の打撃は日本人全般への不信にまで広がり、西田の手紙にも「日本人を理解できると信ずる外国人は、何と愚かであろう!」と記すほどだったといいます。この強烈な幻滅は、八雲が日本に対して抱いていた理想と現実との乖離から生まれたものでしょう。

研ぎ澄まされた感性が生んだ小泉八雲の「変人」エピソード

小泉八雲が残した数々の「変人」エピソードは、単なる奇行ではなく、彼の極めて研ぎ澄まされた感性と、真実や誠実さに対する強いこだわりから生まれたものでした。士族の娘であるべき妻セツの手足が理想と異なると不機嫌になったり、近代化された熊本に幻滅したりしたのは、彼の中にあった美意識や理想、そして嘘を許さないという厳格な原則があったからこそです。

日本という異文化の中で、自身の感性を研ぎ澄まし、時に理想と現実のギャップに苦悩しながらも、真摯に日本を見つめ続けた小泉八雲。彼の「変人」性は、むしろ彼がいかに繊細で、純粋な心を持っていたかの証とも言えるでしょう。朝ドラのレフカダ・ヘブンを通して、この奥深い人物の多面的な魅力に触れることは、現代の私たちにとっても示唆に富む体験となるはずです。

参考文献

  • 桑原羊次郎『松江に於ける八雲の私生活』(山陰新報社)
  • 長谷川洋二『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)