トルコ共和国が建国以来、亡命者・難民を受け容れてきたのはなぜか?オスマン帝国末期の汎トルコ主義、汎イスラム主義が源流なのか…


トルコにブルガリア人小学校が35校もあるのはなぜか?

 男性はイスラム教徒のブルガリア人でソ連邦崩壊後に一家でトルコに移住したという。現在ブルガリア人小学校の教師をしているが、トルコにはなんと35校のブルガリア人小学校があるという。

 男性の話ではどうも共産党支配が崩壊して新生ブルガリアになるとブルガリア正教徒のブルガリア人のナショナリズムが高揚してイスラム教徒のブルガリア人は差別・憎悪の対象になったようだ。そのため“トルコ系やトルコ文化に連なる”イスラム教徒難民を受け容れていたトルコに移住したようだ。

ソ連邦崩壊後のバルカン半島の過激なナショナリズムとトルコへの亡命

 筆者の理解ではバルカン半島を統治したオスマン帝国は、トルコ人をバルカン半島に移住させて治安維持や徴税など統治機構に利用し、他方で現地の正教徒の住民の一部も免税などの優遇措置をうけるべくイスラム教徒に改宗した。こうしてバルカン半島のイスラム教徒は現地社会の支配層・富裕層となっていった。これがキリスト教徒住民の長年の反感と憎悪を招くことになったという歴史的背景である。

ブルサ在住のブルガリア難民一家の娘は幸せになれるのか

 現在はガソリンスタンドに住み込みで働いて金を貯めている。青年の目標は十分な資金を貯めて現在交際している娘と結婚することだという。彼女の一家はブルガリアから亡命してきたという。彼女はイズニックに近いブルサに住んでいる。ブルサには亡命ブルガリア人のコミュニティーがあるようだ。

 7月22日。アイワルク市内で出会ったチャナッカレの大学生にブルガリア人の移住者の話をしたら、トルコはソ連邦崩壊後にブルガリア、ルーマニア、旧ユーゴスラビアなどバルカン半島からの政治難民を数多く受け入れており、トルコ各地にコミュニティーがあると解説してくれた。



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