米米CLUBのボーカル、石井竜也さんが自身のX(旧Twitter)で、元メンバーであるジュリアーノ勝又(本名:勝又隆一)さんの訃報を伝え、深い悲しみを表明しました。勝又さんは1995年に米米CLUBに加入し、1997年の解散まで共に活動したメンバーです。
石井竜也、勝又さんの才能と人柄を称える
石井さんは「もう一度、勝又さんと一緒に仕事をしたいと願っていた」と語り、その才能と人柄を惜しみました。米米CLUB時代は「いつもニコニコ」していて「くだらないことを馬鹿笑い」してくれるムードメーカーだった勝又さん。しかし、石井さんのソロ活動で番組「アンモナイト」に携わった際には、シティポップのアレンジャーとしての才能に「鳥肌が立った」と、その実力を高く評価していました。石井さんは「勝又さんが紡ぐ音楽には、その温かい人柄が表れていた」と故人を偲び、「僕らは、彼の分も心に刻んで、これからやっていきます」と決意を新たにしました。
石井竜也さん
ALSとの闘病生活、そして永遠の別れ
勝又さんは2023年10月、自身のInstagramでALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症したことを公表。闘病生活を送りながらも音楽活動を続けていましたが、今年5月には介護施設に入所したことを報告していました。9月には施設での生活の様子を明るく伝えていましたが、それが最後の投稿となりました。
音楽への情熱、最後まで燃やし続ける
ALSという難病に侵されながらも、勝又さんは音楽への情熱を絶やすことなく、前向きに生き抜きました。介護施設入所後も、音楽を通してファンと繋がり続けようとする姿は、多くの人々に勇気を与えました。音楽評論家の山田太郎氏(仮名)は、「勝又さんの音楽は、常に優しさと思いやりに満ち溢れていました。彼の音楽はこれからも多くの人々の心に響き続けるでしょう」と語っています。
心からの追悼、そして未来へ
石井竜也さんをはじめ、多くのファンや関係者が勝又さんの死を悼んでいます。彼の温かい人柄と類まれなる音楽の才能は、これからも多くの人々の記憶に刻まれることでしょう。ご冥福をお祈りいたします。