盧溝橋事件88年:中国の記念式典に透ける歴史観の変化と戦略

盧溝橋事件から88年を迎えた7日、中国各地で記念行事が行われました。事件発生地である北京郊外の「中国人民抗日戦争紀念館」には中国共産党序列5位の蔡奇(ツァイ・チー)政治局常務委員が出席。一方、習近平国家主席は同日、内陸部の山西省を訪れ、中国共産党の軍が日本軍と戦い「勝利した」とされる百団大戦ゆかりの記念碑に献花しました。防衛省防衛研究所の庄司潤一郎研究顧問は、これら一連の動きから中国側の様々な思惑や計算、そして歴史認識の変化が見て取れると指摘します。

中国首脳の歴史行事参加の背景

中国トップの国家主席が盧溝橋事件を巡る記念行事に出席したのは、2014年の一度きりです。庄司顧問は、当時、安倍晋三首相(当時)の歴史認識に中国が反発しており、習近平氏の出席には強いメッセージを出す意図があったと分析しています。

今年の習近平主席の山西省訪問の背景には、「抗日戦争の中核は共産党である」という強調の狙いがあります。庄司顧問によれば、日中戦争当時、正面戦場において主に日本軍と戦っていたのは、共産党ではなく国民党軍でした。中国では以前、日中戦争を盧溝橋事件から終戦までの「8年」とみなしていましたが、近年では教科書などで、共産党の役割を強調する目的で満州事変(1931年9月)から数えて「14年」の抗日戦争としているのが現状です。

盧溝橋事件「偶発性」の否定と変化する歴史観

蔡奇氏は式典で、「88年前の今日、日本軍が意図的に事件を引き起こし、全面的な侵略戦争を強引に仕掛けた」と発言しました。日本の侵略は間違いのない史実であるものの、庄司顧問は蔡氏が盧溝橋事件を明確に日本による「計画」と断定したことに対し、「これまで蓄積されてきた研究からはかなり違和感がある」と指摘しています。

盧溝橋事件88周年記念式典に出席する中国共産党序列5位の蔡奇政治局常務委員盧溝橋事件88周年記念式典に出席する中国共産党序列5位の蔡奇政治局常務委員

研究の進展、特に最近の「蒋介石日記」や台湾における史料の公開により、盧溝橋事件の契機となった「最初の一発」やその後の事件の展開が、いずれも偶発的であったとの見方がほぼ定説になっているのが学術界の共通認識です。庄司顧問自身も参加した「日中歴史共同研究」(2006年~2010年)において、中国側でも歴史的推移から必然性は帯びつつも、「偶然性を持つかもしれない」としていました。この約20年で、中国政府の見解に変化が生じていることがうかがえます。

国民党評価の変化と中台関係の影響

この「変化」は、日中戦争における国民党の役割の評価についても見られます。蔡奇氏は、「中国共産党は、抗日戦争の最前線で勇敢に戦い、進路を導き、すべての民衆の抗日戦争の支柱となった」と述べました。

しかし、胡錦濤国家主席時代、抗日戦争紀念館で2005年に行われた戦後60年の特別展示では、国共合作に触れつつ国民党軍の正面戦場における役割にも言及がありました。庄司顧問は、こうした認識の変化には現在の中台関係が大きく影響している可能性を指摘しています。

まとめ

盧溝橋事件から88年の記念行事は、単なる過去の追悼に留まらず、中国共産党が自らの正統性を強調し、国内外に向けた政治的メッセージを発信する場となっています。特に、盧溝橋事件の「計画性」強調や、抗日戦争における共産党の役割の絶対視、そして国民党の歴史的貢献に対する評価の変化は、現在の中国の歴史認識が、国内外の情勢、特に中台関係と深く連動していることを示唆します。これらの動きは、今後の日中関係や東アジア情勢を理解する上で重要な視点となります。

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