「では笑って征きます」兄を特攻で失った弟 「30分後出撃」のはずが生き残った元特攻隊員 『特攻』を知る人たちが伝えるメッセージ【夏休みに振り返る#戦争の記憶】

「では笑って征きます」兄を特攻で失った弟 「30分後出撃」のはずが生き残った元特攻隊員 『特攻』を知る人たちが伝えるメッセージ【夏休みに振り返る#戦争の記憶】

[ad_1] 10代や20代の若者たちが多数犠牲となった「特攻」 取材協力:知覧特攻平和会館 太平洋戦争末期に日本軍によって行われた「特攻」。作戦で犠牲となったのは、ほとんどが10代や20代の若者たちでした。特攻で亡くなった家族への思い、そして出撃直前に中止となって生き残った人だからこそ伝えられるメッセージがあります。 ■【動画で見る】「では笑って征きます」兄を特攻で失った弟 「30分後出撃」のはずが生き残った元特攻隊員 『特攻』を知る人たちが伝えるメッセージ ■鹿児島・知覧にあった「特攻隊」の基地 鹿児島・知覧に「特攻隊」の基地 鹿児島県南九州市の町、知覧。70年前、ここに「特攻隊」の基地がありました。 「平和なたたずまいを見せております」 毎年開かれている慰霊祭で、今回、遺族代表として弔辞を述べたのは、和歌山県美浜町の小松雅也さん(84)です。 【小松雅也さん(84)】 「御堂と一体的に素晴らしい景観が保たれ、あの戦火し烈を極めた特攻基地のあった所とは思えない静けさと、平和なたたずまいを見せております」 ■特攻隊員だった兄 アメリカの軍艦に突っ込み 22歳の若さで生涯を閉じる 特攻隊員だった兄・中西伸一さん 特攻隊員だった兄・中西伸一さん。時がたつにつれ、小松さんは、戦争のない日本を知らずに逝った兄の無念さを思うようになりました。 【小松さん】 「当時はそういう世の中であったので、国のためということで逝かれたので、兄は満足してると思うんですよ。しかし今、生きていれば91歳ですかね。戦争がなかったら、兄もまだ生きて、孫やひ孫に囲まれて楽しい人生を送られたのになと思うんですけれども」 父も母も息子が国のために役立ってくれるのがうれしかった 太平洋戦争末期、戦況が悪化する中、日本軍が行った「特攻」。爆弾を積んだ飛行機などでアメリカの軍艦に体当たりするこの作戦で、約6400人が犠牲になったと言われています。二度と戻らぬ覚悟を決めて飛び立っていった特攻隊員たちの多くが10代から20代の若者たちでした。 和歌山県美浜町で小学校の教師をしていた伸一さんは、「国の役に立ちたい」と、教師を辞めて陸軍に入隊。その後、自ら特攻隊に志願しました。 【小松さん】 …