“宮崎の台所”として栄えた商店街が廃墟に… 残るは数軒、「レトロの良さは消え危険な構築物に」 それでも壊せない理由

“宮崎の台所”として栄えた商店街が廃墟に… 残るは数軒、「レトロの良さは消え危険な構築物に」 それでも壊せない理由

[ad_1] “宮崎の台所”として栄えた商店街が廃墟に  「昭和レトロ」と聞いて、どんな建物を想像するだろうか? 宮崎県宮崎市の中心部には、その想像をはるかに超えた建物があるという。『ABEMA的ニュースショー』は現地を取材した。 【映像】宮崎市の“廃墟商店街”、内部の様子  通りに突如出現する、今にも崩れそうな廃墟。傾く建物、窓ガラスは割れ、剥がれ落ちたトタン屋根はその役割を果たしていない。この建物はいつ建てられ、どれほど放置されているのか。  その一角に営業している店がある。「一般的には食料品で、穀物・豆類が主かな。それに関係して砂糖類とか」と話すのは、「稲口商店」の稲口文男さん(80)。70年前からこの地で店を開く問屋の2代目だ。かつては2階を住居として使っていたが、今はとても住める状態ではなく、1階をかろうじて店舗として使っている。 「稲口商店」の稲口文男さん(80) 「アーケードがあって、年末は(上野の)アメ横みたいな」(稲口さん)  「青空ショッピングセンター」と呼ばれる商店街。昭和25年に開設され、宮崎で最も古い生鮮市場だ。かつては“宮崎の台所”として栄え、最盛期は400軒ほどの店がひしめき合っていた。  今やその面影すら残されていないが、青果店だったという店を見てみると、階段は抜け落ち、当時使っていたとみられる荷物は散乱したまま。壁は剥がれ落ち、柱もボロボロで、まるで夜逃げしたようにそのまま残されている。 「関係者以外立入禁止」の奥へ  さらに奥の「関係者以外立入禁止」と書かれた場所へ。屋根が今にも崩れ落ちてきそうな、瓦礫の山とも言える状態だ。稲口さんによると、約20年前から徐々に店をたたむ人が出始め、10年前には廃墟状態になったという。近くにショッピングセンターができたことと、店主の高齢化が原因だった。 「ここが肉屋さん、ここが八百屋さん。(かつては)ここまで商品が並んでいて。忙しかった場所だったから」(同)  多くは突然閉店となり、行方がわからない人もいるという。なぜそのままの状態でいなくなってしまったのか。 [ad_2] Source link