前歯と厚い唇、先生が描いた似顔絵にショック 娘に遺伝、整形… 見た目で悩んだ母が今思うこと

人々の見た目には無意識的なジャッジがついてしまいがちです。私たちは、見た目に対して異様なほどの関心を寄せているようです。でも、見た目だけが全てなのでしょうか?

私たちの外見は、自分自身や周りの人々に与える印象に影響を与えます。人は、見た目が良いと良い印象を持ち、見た目が悪いと悪い印象を持つ傾向があります。しかし、見た目だけが全てではありません。実際には、内面や経験、人格など、見た目以外の要素も人を魅力的にするのです。

私たちは、見た目に関して過剰に気にする傾向があります。自分の前歯や唇の特徴に悩む母親のエピソードを紹介しましょう。

似顔絵

ある日、小学校の図画工作の授業で似顔絵を描くことになりました。先生がパートナーになってくれましたが、彼女の描いた似顔絵は私の前歯や唇の特徴を強調していました。見た瞬間、ショックで体が固まりました。「人から見た私は、やっぱりそうなんだ」と思いました。先生は悪意はなかったと思いますが、私にとってはショックでした。

それ以来、私は笑うことが怖くなりました。特に前歯が目立つため、カメラを向けられるのも嫌いでした。学校での写真が掲示されると、自分の容姿がさらされているように感じました。私の容姿は形に残したくなかったのです。

中学生の頃、小さい子に「出っ歯」と指差されたことがあります。同級生の妹か弟だったと思います。「その一瞬で、子どもが嫌いになりました」と母の言葉を思い出します。同級生が公然と私をバカにすることはありませんでしたが、心の中で思われているのを感じていました。

母の隣

私は母に似ていると言われることを嫌いました。顔のパーツや輪郭は父に似ていますが、口元が特徴的だからだそうです。「みんな、そこに目がいくんですよ」と母は言います。いつも母と一緒に街を歩くときは「できれば誰にも会いませんように」と願いました。ご近所さんに会うと、「お母さんに似てきたね」と笑われたり、学校で「お母さんと歩いていたね」と言われたりしました。そのたびに冷や汗が出ました。母のことは好きでしたが、知り合いに見られるのが怖かったのです。

母も子どもの頃、歯並びをからかわれたことがあったそうです。母は「ばかにされるような人間じゃなくて、中身がしっかりしとけばいいんや」と言っていました。「母も悔しかったはず。勉強をがんばることで見返していたんだと思います」と母の言葉を思い出します。

下品じゃない

高校や大学に進学すると、からかわれることはなくなりました。友人たちは容姿のことを気にせず、自由に大声で笑うことができました。しかし、外に出ると緊張しました。「合コンに参加するときは口元を隠して話しますし、ばか笑いも控えます」と母は言います。私も「もしかしたら自分だけが過剰に気にしているのかな」と思うこともありましたが、コンプレックスは消えませんでした。

社会人になり、学校で働き始めると、現実が再び私に突きつけられました。新しく赴任した中学校の生徒たちがこちらを見てひそひそと笑っていました。視線の先は口元でした。「やっぱり、そうなんだ」と思いました。

一度だけ、歯並びを直したいとお願いしたことがあります。小学生の頃でした。しかし、母は「いとこが歯列矯正をしようとして、余計にガタガタになったから」と許してくれませんでした。「将来、自分のお金で」と言い聞かせ、それ以上はねだらずにいました。テレビに映るアイドルのような歯並びに憧れたのです。

「だって、すっごい大きな口で笑っても、下品じゃないから」と母は言います。しかし、結局は歯列矯正をすることはありませんでした。矯正器具をつけることで私のコンプレックスが周りにバレるのが恥ずかしかったのです。一歩が踏み出せずにいました。

遺伝

結婚して2人の娘を授かった私は、自分の遺伝によって子どもたちも同じように歯がせり出してきたことを知りました。特に長女の歯並びは悪かったため、小学生になってから歯列矯正を受けさせました。100万円近い費用についても特に気にせずに支払いました。「出っ歯」とからかわれ始め、いじめられる心配をしていたのです。「これで一生、コンプレックスを感じず、嫌な思いをしないんだったら。私と同じような目に遭わせたくなかったから」と母は語ります。

夜、矯正器具をつけて眠る前、長女は痛がっていました。「つけたくない」と泣いたのです。私は隣で「痛いね。でもこれが終わったら歯並びがきれいになるよ」と声をかけ続けました。

長女は今も矯正を続けていますが、見た目にはほとんど変化があります。長女からは「きれいにしてもらって本当によかった」と感謝されます。

今年、次女も大学に進学しました。長女と比べると歯並びはましでしたので、歯列矯正を先送りにしていました。外出するときはマスクを欠かせませんでした。「なんでお姉ちゃんだけ」との思いを感じることがありました。

次女には「ほんとは、高校や中学で思いっきり笑えるようになっていたかった」と言われました。次女も歯列矯正を始めるため、準備を進めています。

娘の整形

少し前に長女が整形手術を受けました。アルバイト代を貯めて、一重まぶたを二重にしました。その後、彼女は「鼻も高くしたい」「エラも削りたい」と言うようになりました。「彼女の整形欲は、どんどんエスカレートするんです。まぶただけで収まらない。怖いくらいに」と母は心配しています。夫と共に「もうこれくらいで止めないと。やり出したら、果てがないから」と伝えました。

そこで私は、長女が小学生の頃に歯列矯正を受けさせたことを思い出し、複雑な心境になりました。あれは間違いなく親心でした。同時に、口元が私に似た娘をふびんに思ってしまっていたのです。「あなたの歯並びは直さないといけないようなもの、というメッセージになってしまったのではないか」「彼女のルッキズムに拍車をかけてしまったのではないか」と自問しました。

ただ、整形手術を受けてから長女の表情は変わりました。「やっぱり二重にしたらちがうわ」「メークも楽しくなるわ」と、鏡の前で喜んでいます。以前は化粧をしているにもかかわらず、憂鬱な表情をしていました。アイプチを使って二重まぶたを作る必要もなくなりました。朝起きた瞬間から二重まぶたでいられることで、彼女の心は軽くなったのです。「これは矛盾するんですけど、そんな長女を見ていると、整形手術をくだらないことだなんて私には言えない」。

私の整形

実は、私も自身で整形手術を受けたことがあります。30代の頃、初めて担任を務めることになり、下唇を数ミリ薄くする手術をしました。教壇に立ち、クラス全員の前で話すのが怖かったからです。

私は薄くしたかったのですが、医師に「顔のバランスが崩れる」と止められました。しかし、手術を受けたことで教壇の前で勇気を持つことができました。「私はやってよかったと思っています。あのときは仕事が不安で仕方なくて、自分を振り立たせるために必要なことでした」と母は言います。

手術後、唇はひどく腫れました。幼い娘たちに驚かれないように、家の中でもマスクをして別の部屋で食事をしました。私は娘たちに整形手術のことをまだ話していません。「母が率先して整形したと知ったら余計に拍車をかけかねないので、まだちょっと言えないですね。もう少し大人になったら」と思っています。

私はこれまで生きてきて、見た目が一つのステータスであることを実感しています。見た目によって得することもあれば、損することもあります。それは職場の学校でも同じです。しかし、見た目だけが全てではありません。私は性格や経験、内面こそが重要だと思います。

私たちは見た目に過剰に気にする傾向があります。娘や教え子が容姿による劣等感で苦しむことがないよう、私は実体験を踏まえて伝えています。「結局のところは、見た目じゃない。いろんな経験を重ね、お母さんは今、そう思えています」と私は言いました。

私たちが求めるのは、見た目で判断するのではなく、内面や人格を重視する世界です。娘や教え子には、見た目だけにとらわれず、自分自身を大切にしてほしいと願っています。「見た目ばかりにとらわれている人より、そうじゃない人が多数であってほしい。せめて、そういう風潮であってほしい。できれば、ですけど」と母は言いました。

このようなエピソードを通して、私たちは外見に対する考え方を見直す必要があります。見た目に対する過剰な関心は、人々を不幸にする原因となります。私たちは、他人を見る際に容姿だけにとらわれず、内面や人格を重視することが求められています。

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