平安時代に死に別れた兄弟武士、900年後に末裔がまさかの〝再会〟 きっかけは新聞記事、記者もびっくり「ドラマのような偶然」

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約900年ぶりの兄弟の“再会”―。耳を疑うようなことが、新聞記事をきっかけに起きた。平安時代の兄弟の末裔である、仙台市の101歳の男性と大阪府豊中市の88歳の男性は「全くの偶然」をきっかけに手紙のやりとりを始めた。(共同通信=中川玲奈)

偶然読んだ新聞記事

2022年2月上旬、大阪府豊中市の山内研治さんは新聞に目を通していた。普段じっくり読むわけではないが、その時はなんとなく隅々まで。すると、ある記事が目にとまった。

仙台市に住む99歳の小野寺宏さんが、地域や祖先の歴史を調べ続けているという。小野寺さんは、父がまとめた祖先の膨大な記録を後世に残すため、史料の裏付けをして「中世の小野寺氏」(1200ページ)という大著にまとめていた。小野寺氏は中世の武士の家系だ。

「これはもしや…」

山内さんは直感した。この小野寺氏は自分の先祖である山内氏と関係あるのではないか。鳥取県出身の山内さんも、実は70歳の時から祖先の歴史を調べ始めていた。当時はちょうど平安時代にさしかかったあたりだ。

山内さんは新聞社に連絡を取り、記事を書いた記者を介して、小野寺さんにこんな手紙を出した。

「小野寺氏と山内氏はひょっとして昔の兄弟ですか」

実の兄弟だったと確認

小野寺さんの答えは明快だった。

「小野寺氏の初代・小野寺義寛(おのでら・ぎかん)は、山内首藤(やまのうち・すどう)氏の流れをくんでいます。山内首藤俊通(としみち)の弟とされています」

山内さんは感動で体が打ち震えた。実は、山内家に伝わる系図には、兄弟との表記があったものの、中世に作られた系図集の権威「尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)」にはその記載がなかったのだ。
山内さんによると、小野寺家に伝わる系図に兄弟との記載があり、義寛の推定生まれ年が1124年であることから、俊通と実の兄弟関係であることは間違いないと確信できた。

山内首藤氏とはどんな家系か。山内さん側の資料によると、美濃国(現在の岐阜県)を源流とする土豪だったとされ、藤原姓を名乗り、後に源氏の武士となった。その後、分家として近江(滋賀県)、伯耆(鳥取県)に分かれたという。

この兄弟は、中世の日本史に登場している。

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