発熱・けが…能登の避難所で医師が奮闘 日本ニュース24時間

避難所での体調不良が相次いでいるという能登半島地震の現場から、一人の医師の勇気ある活躍が伝えられています。救急医の横堀将司さん(49)は、不眠不休でけがを処置し続けました。高齢者たちも熱を出して体調不良を訴え、更なる支援が必要だと語りました。

医師の奮闘

横堀さんは、日本医科大学の教授であり、災害医療支援チーム「AMAT」の一員として能登町に派遣されました。町立小木中学校には大規模な避難所が設置されており、横堀さんは同僚の医師や看護師と共に現地入りしました。

しかし、悪路が通行を妨げました。道路は土砂や倒木で埋まり、通れる場所も分からない状況でした。インターネットの接続もなく正確な情報が得られなかったため、焦りを感じる一方で、余震が続いていたため夜間の運転は危険でした。結局、初日は七尾市までしか進むことができませんでした。

一晩の仮眠をとった後、翌朝に出発した横堀さんは、海沿いや山道を迂回しながらようやく目的地に到着しました。全行程には丸1日かかりました。

医療支援の不足

避難所では、近隣の小学校を含めて1000人以上が避難していましたが、医療対応できるのは現地のクリニックの男性医師1人だけでした。地震発生から2日が経っていましたが、転倒や切り傷を負った高齢者たちが絶えず訪れていました。横堀さんは、男性医師の応対を不眠不休で行う姿に感銘を受けつつ、医療スタッフの支援不足を痛感しました。

けがをした人々への処置は、この男性医師の奮闘によって行われましたが、避難所で発熱する人々の多さが問題となりました。咳や下痢を訴える被災者が相次いでいました。医療物資も不足している中、別の部屋に分けて隔離することで対応しました。また、持病を抱える高齢者たちの薬も不足しており、心を痛めました。

余震が続き、停電も頻繁に起こりました。避難所では涙声が体育館に響いたこともありました。横堀さんは、「余震ごとに被災者たちの不安も増大していた」と述べながら、被災者のメンタルヘルスの重要性を再認識しました。

支援の必要性

避難所には、100人以上の外国人が避難していることも印象的でした。ベトナム人の女性が困っている様子に声をかけましたが、言葉や翻訳アプリが通じず、彼らの不安を理解することができませんでした。横堀さんは、「言葉が通じない中で彼らの不安を感じました。女性は助けを求めており、私たちが十分なケアをできなかったことを悔やみます」と語りました。

横堀さんは支援が必要な施設にも立ち寄りました。穴水町の知的障害者施設では停電が起こり、水や食料も不足していました。入所者たちは狭い部屋で雑魚寝をしながら生活していました。横堀さんは、「災害弱者への支援が不十分だ」と訴えました。

横堀さんは4日夕方に後任のチームに引き継ぎ、東京に戻りました。彼は、自分たちは東京で食事をし、入浴もできるという恵まれた状況にある一方で、被災地にはまだ十分な支援が届いていないことを指摘しました。彼は、「被災者の声を伝えることができるのは、今自分にできることだと思っています」と述べました。

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