【おおたわ史絵医師】波乱万丈の家庭環境と筑波大附属での日々:医師への道は母の愛?

おおたわ史絵医師をご存知ですか?テレビでお馴染みの内科医である彼女が、You Tubeチャンネル「街録ch~あなたの人生、教えて下さい~」で、波乱万丈の幼少期から医師になるまでの道のりを赤裸々に語りました。今回は、その壮絶な人生の一部を覗いてみましょう。

薬物中毒の母と厳しい教育

おおたわ医師の家庭環境は、決して平穏なものではありませんでした。看護師の母は、盲腸の後遺症による腹痛から、当時違法ではなかった麻薬に近い鎮痛剤に依存し、薬物中毒に陥っていたのです。

一方で、母は教育熱心でもありました。おおたわ医師は「小学校時代から、母は猛烈に勉強をしろと言いました。『一般以上の人間になる』ことが彼女の目標で、娘である私を父と同じ医学の道に進ませることを考えていたようです」と語っています。

偏差値77!筑波大附属小学校での生活

そんな母の強い思いから、おおたわ医師は小学校受験を経て筑波大附属小学校に入学。悠仁さまが高校に通っていることでも話題の、偏差値77の名門校です。おおたわ医師が現役時代は、東大合格者が60人近くもいたそうです。

おおたわ史絵氏おおたわ史絵氏

「筑波大附属の友人たちは皆優秀で、温かい心を持っていました。多様な考え方を受け入れる自由な校風で、国立校ならではの伸び伸びとした環境でした。彼らとの交流が、今の私の社会性を築いてくれたと思っています」と、おおたわ医師は当時を振り返ります。

母の期待と医師への道

実は、おおたわ医師自身は医師を志したことはなかったそうです。「バレーを習いたい」と言っても「デブなんだから無駄だ」と一蹴され、「芸術に興味がある」と言っても「芸術では食べていけない」と反対されるなど、医学以外の道は全て閉ざされていたと語っています。

筑波大学附属小学校筑波大学附属小学校

「勉強をしていると母は機嫌が良く、学校も皆が勉強する環境だったので、自然と勉強に打ち込むようになりました。周りのみんなは東大を目指すような優秀な人たちばかりで、私は落ちこぼれでした」と謙遜しますが、見事、東京女子医科大学に現役合格を果たしました。

偉大な母の愛?

複雑な家庭環境の中で、母の厳しい教育と筑波大附属での日々を経て医師となったおおたわ史絵氏。母の愛の形は歪んでいたかもしれませんが、彼女の人生を大きく形作ったことは間違いありません。

おおたわ医師の壮絶な人生は、私たちに多くのことを考えさせてくれます。皆さんは、この物語からどのようなメッセージを受け取りましたか?