モンゴル出身力士が日本の土俵を席巻する時代。照ノ富士、豊昇龍、霧島…錚々たる名前が並ぶ彼らの活躍の裏には、ひとりの偉大な親方の存在がありました。元大島親方、太田武雄氏。その生涯と、モンゴル力士育成への情熱、そして弟子たちへの深い愛情に迫ります。
モンゴル力士誕生の立役者
1992年、日本の相撲界に新たな風が吹き込みました。6人のモンゴル人少年が、大島部屋の門を叩いたのです。当時、外国出身力士への風当たりは強く、異国の地で言葉も文化も異なる若者たちを受け入れることは容易ではありませんでした。しかし、太田氏は彼らの内に秘めた「やる気」と「根性」を見抜き、育成を決意します。
モンゴル人力士の入門当時の写真
言葉の壁、食文化の違い…様々な困難に直面しながらも、太田氏とおかみさんの献身的なサポートを受け、彼らは力士としての道を歩み始めました。しかし、入門からわずか半年後、ホームシックと環境への不適応から、彼らは集団脱走を図ります。故郷へ戻った者もいましたが、旭鷲山、旭天鵬(現・大島親方)、旭天山ら3人は日本に残ることを選び、後に大相撲の歴史に名を刻むことになります。
弟子たちの活躍と太田氏の想い
旭鷲山らの活躍は、モンゴルの地で大きく報道され、幼い朝青龍や白鵬らの心を掴みました。彼らは憧れを抱き、日本の土俵を目指し、後の大相撲黄金時代を築き上げます。太田氏は、まさにモンゴル力士の「生みの親」と言えるでしょう。
太田氏の弟子の中でも、旭富士は横綱にまで昇り詰め、伊勢ヶ濱親方として後進の指導にあたっています。旭天鵬は、太田氏から後継者として指名され、大島部屋を継承する予定でした。しかし、現役力士として活躍を続ける旭天鵬の意向を汲み、太田氏は部屋を閉鎖。旭天鵬は友綱部屋に移籍し、37歳8ヶ月という史上最年長記録で幕内最高優勝を果たすという偉業を成し遂げました。
偉大な親方の逝去と弟子たちの追悼
2024年10月22日、太田氏は77歳で永眠されました。訃報を受け、旭鷲山、大島親方、白鵬(現・宮城野親方)、伊勢ヶ濱親方ら、多くの弟子たちが弔問に訪れ、故人を偲びました。「親方がいて今の自分がある」「親方は父親のような存在だった」…彼らの言葉からは、太田氏への深い感謝と尊敬の念が伝わってきます。
料理研究家の山田花子さん(仮名)は、「太田氏の弟子たちへの愛情と情熱は、まさに”食育”に通じるものがあります。異国の若者たちを温かく迎え入れ、彼らの才能を伸ばすその姿勢は、私たち料理人も見習うべき点です」と語っています。
モンゴル力士の父、その功績は永遠に
太田武雄氏。その名は、モンゴル力士の歴史と共に、永遠に語り継がれることでしょう。彼の功績は、単に力士を育成しただけでなく、日本とモンゴルの架け橋となり、相撲界に新たな時代を切り開いたことにあります。