1990年代、平成に入って間もない日本は、薬物犯罪の新たな波に直面していました。イラン人を中心とした不良外国人の出現と通信機器の発達により、薬物はより身近なものとなり、密売の手口も巧妙化していきました。この記事では、元麻薬取締官・高濱良次氏の事件簿を紐解きながら、当時の薬物犯罪の実態と捜査機関の取り組みについて解説します。
イラン人密売組織の出現と新たな密売の手口
昭和の時代、薬物密売は主に暴力団によって行われていましたが、90年代に入ると、イラン人を中心とした不良外国人による密売が台頭しました。彼らは従来の暴力団とは異なる手口で薬物を流通させ、捜査機関に大きな課題を突きつけました。
名古屋市のテレビ塔ふもとにある久屋大通公園では、奇妙な光景が見られました。イラン人男性が通行中の車にタクシーを止めるような仕草で声をかけ、応じた日本人カップルに薬物を渡すというものです。
名古屋テレビ塔と久屋大通公園の風景
彼らは薬物を持ち歩かず、公園内の植え込みに隠していたため、現行犯逮捕が困難でした。このため、東海北陸地区麻薬取締官事務所は特別捜査本部を設置し、組織の解明に乗り出しました。
おとり捜査と組織の壊滅
麻薬取締官事務所は、組織解明のためにおとり捜査を決行しました。おとり捜査官が密売人に接触し、MDMAを購入する様子を撮影することに成功したのです。
この捜査により、密売人の行動パターンや役割分担、薬物の隠匿場所などが明らかになりました。声かけ役、運搬役、集金役など、複数の人間が連携して取引を行っていたのです。さらに、日本語が堪能な元締めが存在し、現場を指揮していることも判明しました。
麻薬取引のイメージ
得られた証拠をもとに、元締めを含む6人のイラン人密売グループを一斉逮捕。MDMA、覚せい剤、乾燥大麻などの薬物と売上金を押収し、組織を壊滅させることに成功しました。
若者をターゲットにした価格設定
押収された覚せい剤は0.3gで1万円、乾燥大麻は0.8gで5000円と、若者でも購入しやすい価格設定になっていました。これは、薬物汚染の低年齢化を招く深刻な問題でした。
薬物犯罪の変遷と新たな課題
イラン人密売組織の摘発後、彼らは郊外へ拠点を移したり、捜査機関の目を逃れるため新たな手口を模索し続けました。同時に、インターネットやSNSを利用した薬物密売が台頭し始め、一般人や一部の暴力団関係者が関与するようになりました。
薬物犯罪は暴力団の専売特許ではなくなり、より複雑化していったのです。1990年代後半には、薬物検挙者が再び増加傾向を見せ、「覚せい剤第3次乱用期」と認定されました。これは、日本社会にとって新たな課題となりました。
この事件は、薬物犯罪の手口が時代とともに変化し、より巧妙化していく実態を浮き彫りにしました。90年代のイラン人密売組織の摘発は、薬物犯罪との闘いにおける一つの転換点と言えるでしょう。そして、現代社会においても、常に新たな脅威に vigilance を怠ることなく、対策を講じていく必要があるのです。