故・渡邉恒雄氏と中曽根康弘元首相。二人の間には、長年に渡る深い友情と信頼関係がありました。この記事では、渡邉氏が語った中曽根氏との思い出、そして中曽根氏が渡邉氏の墓碑銘を揮毫したエピソードをご紹介します。
60年以上続く友情の軌跡
渡邉氏と中曽根氏の出会いは、渡邉氏が駆け出しの記者だった60年以上前に遡ります。以来、二人は公私共に深く交流し、家族ぐるみの付き合いもあったそうです。渡邉氏にとって中曽根氏は、人生におけるかけがえのない存在でした。
中曽根元首相と渡邉恒雄氏
中曽根氏の訃報に接した際、渡邉氏は深い悲しみに暮れたといいます。7年前の蔦子夫人(中曽根氏の妻)の逝去、そして2年前の自身の妻の死。大切な人を失う悲しみを経験してきた渡邉氏にとって、中曽根氏の死は大きな喪失感をもたらしました。
最後の対面と共有した老いの姿
最後に中曽根氏と会ったのは、2年ほど前。読売新聞本社を訪れた中曽根氏は、頭脳は明晰でしたが、足腰が弱り、耳もほとんど聞こえなくなっていました。渡邉氏は筆談を用意していましたが、秘書が“通訳”となり、会話をすることができました。
その後、中曽根氏の容態は悪化し、車椅子での生活となり、最後は都内の病院に入院。渡邉氏自身も足腰が弱り、耳が遠くなっていたため、お見舞いに行くことは叶いませんでした。
まるで自身の未来を見ているようだと、渡邉氏は語っています。
「終生一記者」:中曽根氏が遺した言葉
渡邉氏の墓は、既に都内の寺の「渡邉家之墓」の一角に建てられています。墓碑銘は、なんと中曽根氏が揮毫したもの。渡邉氏のリクエストからわずか3日で書き上げて送られてきたそうです。
中曽根元首相が書いた墓碑銘
「終生一記者を貫く 渡辺恒雄之碑 中曽根康弘」と記された墓碑銘は、渡邉氏のジャーナリストとしての生き様を象徴する言葉です。中曽根氏の手で記されたこの言葉は、渡邉氏にとって、どれほどの重みと意味を持つものだったのでしょうか。
偉大なジャーナリストの生涯を偲びつつ
渡邉恒雄氏と中曽根康弘元首相。二人の深い絆と、ジャーナリズムへの情熱が垣間見えるエピソードでした。渡邉氏の功績と、中曽根氏との友情を偲びつつ、この記事を締めくくりたいと思います。