ジョニー大倉、その熱き魂と素顔:息子ケニー大倉が語る父との10年

伝説のロックバンド「キャロル」のギタリスト、そして俳優として活躍したジョニー大倉さん。没後10年を迎えた今、その息子であるケニー大倉さんが、父との思い出と知られざる素顔を語ってくれました。破天荒なイメージの裏側に隠された家族愛、そして不屈の精神。ジョニー大倉という人物の真実に迫ります。

ロックンロールスター、そして父としてのジョニー大倉

YouTubeで流れる往年の映像は、まるで今も父が生きているかのような錯覚を覚える、とケニーさんは語ります。メディアが作り上げた破天荒なイメージとは異なる、ありのままのジョニー大倉。それは、ロックミュージシャン、俳優としての華やかな顔と、3人の子供を持つ父親としての素朴な顔を持つ人物でした。

キャロル結成直前に生まれたケニーさん。多忙を極めるジョニーさんは、ほとんど家にいなかったといいます。幼いケニーさんを育てたのは、母と父方の祖母「マミー」。キャロルの名曲「ヘイ・ママ・ロックンロール」は、この祖母への愛情を歌ったものだとケニーさんは明かします。小学校入学前に祖母は他界しましたが、葬儀でこの曲が流れた時のことは、今も鮮明に覚えているそうです。

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厳しい父、そして料理上手な一面

家庭では厳格だったジョニーさん。ケニーさんは、父に怒られるのではと常にビクビクしていたといいます。ケンカで負けると「勝つまで帰ってくるな!」と叱咤され、褒められた記憶は一度もないと振り返ります。一方で、妹や弟には優しく、授業参観にも参加するなど、父親としての愛情深い一面も持ち合わせていました。

そんなジョニーさんの意外な特技は料理。たまに帰宅すると、本格的なチゲ鍋や焼肉を振る舞ってくれたといいます。家族で囲む食卓は、貴重な思い出としてケニーさんの心に刻まれています。

アクションスターへの転身、そして不屈の精神

キャロル解散後、ジョニーさんは俳優業に転身。ブルース・リーに憧れ、香港でカンフーを習得し、スタントなしでアクションシーンに挑戦するなど、持ち前の行動力で新たな道を切り拓いていきました。映画「総長の首」やドラマ「Gメン’75」での熱演は、多くの視聴者に強烈な印象を残しました。

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目標を見つけると、家族やお金のことさえも顧みず、ひたすら突き進むジョニーさん。俳優として成功するまでの数年間は収入が不安定でしたが、家族を思い、ひたむきに努力を続ける姿は、周囲の人々にも感銘を与えました。

15歳の誕生日に起きた転落事故、そして父の背中

ジョニーさんの背中を見て育ったケニーさんは、小学6年生の時に俳優を志すようになります。ジョニーさんも、どんな役にも対応できるよう常に体を鍛えていました。しかし、ケニーさんが15歳を迎える直前、ホテルからの転落事故という悲劇が襲います。この出来事が、ジョニーさんとケニーさんの人生にどのような影響を与えたのでしょうか? 後編では、転落事故後のジョニーさんの闘病生活、そして父と子の絆について、ケニーさんが語ります。