能登半島地震から一年。あの日、大切な家族を失った楠健二さんは、変わり果てた故郷の風景と向き合っています。この記事では、輪島市で倒壊したビル跡を訪れた楠さんの思い、そして震災後の生活についてお伝えします。
妻と娘を亡くしたあの日から
2024年1月1日、石川県輪島市。楠健二さん(56歳)は、能登半島地震で倒壊したビル跡に立ち尽くしていました。かつて自宅兼店舗だったこの場所で、最愛の妻・由香利さん(当時48歳)と長女・珠蘭さん(当時19歳)を失ったのです。幸せな日々が一瞬にして崩れ去ったあの日から、楠さんの心には深い悲しみと悔しさが刻まれています。「助けてあげられなかった。謝ることしかできない」。楠さんは絞り出すように言葉を紡ぎました。
輪島市で倒壊したビル(2024年1月1日撮影)
震災後の生活、そして居酒屋「わじまんま」
地震後、楠さんは家族と2018年まで暮らしていた川崎市に移り住み、居酒屋「わじまんま」を開業しました。輪島での思い出と、家族への想いを胸に、新たな生活をスタートさせたのです。お店は連日多くのお客さんで賑わっていますが、楠さんの心は満たされません。妻のいない家はむなしさを募らせ、酒に頼る日々が続いています。閉店後、川崎の街で深酒をすることも少なくありません。
倒壊したビルの現場を訪れる楠健二さん(2024年1月1日、石川県輪島市で撮影)
消えゆくビルの姿、忘れ去られる恐怖
倒壊した7階建てビルは、2024年11月から解体作業が始まりました。国土交通省による原因調査のため、根元付近だけが残されています。かつては遠くからでも見えたビルの姿は、今ではすっかりなくなりました。「ビルがなくなったら、あの日の出来事も忘れ去られてしまうのではないか」。楠さんは不安な胸の内を明かしました。都市計画の専門家、佐藤一郎氏(仮名)は、「震災の記憶を風化させないためには、遺構の保存や記録のデジタル化など、様々な取り組みが必要だ」と指摘しています。
忘れない、あの日の教訓
能登半島地震から一年。被災地は復興に向けて歩みを進めていますが、多くの被災者が今もなお、深い傷を抱えています。楠さんのように、大切な家族を失った人々の悲しみは計り知れません。私たちは、あの日の出来事を決して忘れてはなりません。そして、防災意識を高め、未来の災害に備えることが重要です。