美談として報じられる出来事の裏側には、当事者やその家族の複雑な感情や苦悩が存在します。今回は、善意の行動が美談として消費された結果、苦しみを抱えることになった方々の声に耳を傾け、報道のあり方について考えていきます。
美談報道に苦しむ遺族:岡真裕美さんのケース
川で遊ぶ子供たちの写真
2012年、大阪府茨木市の河川敷で起きた水難事故。3人の小中学生を救おうと川に飛び込んだ岡真裕美さんの夫、隆司さんは尊い命を失いました。2人の少年は無事救助されましたが、1人の男子中学生も帰らぬ人となりました。
岡真裕美さんの写真
当時、この事故は広く報道されましたが、岡さんは夫の死が美談として消費されたと感じています。幼い子供を持つ父親が命をかけて他人の子供を助けたという感動的なストーリーばかりが強調され、事故の原因究明や再発防止策への言及は乏しかったのです。
岡さんは当時5歳と2歳の子供を抱え、夫を失った悲しみと経済的な不安に直面していました。取材ではこれらの苦悩も訴えましたが、報道されることはありませんでした。
美談の枠に囚われる苦悩
その後、岡さんは子どもの安全について学び、安全行動学の研究者としての道を歩み始めました。しかし、今度は「夫の死を乗り越えた研究者」という新たな美談が作られ、苦悩は続きました。岡さんの本来の思いや研究活動の意義は歪められ、再び美談の枠に閉じ込められてしまったのです。
安全教育の専門家である佐藤先生(仮名)は、「美談報道は、感情に訴えかけることで視聴者の共感を呼びやすい一方で、問題の本質を見えにくくする危険性がある」と指摘しています。
東日本大震災の生存者:阿部任さんのケース
東日本大震災で津波に流されながらも9日後に救出された阿部任さんも、美談報道に苦しめられた一人です。避難を怠ったという事実を棚上げにされ、「奇跡の生還」として英雄視されることに強い抵抗感を覚えました。
メディアはなぜ美談にしたがるのか?
なぜメディアは美談を好むのでしょうか? メディア論に詳しい田中教授(仮名)は、「美談は人々の心を動かし、共感を生み出す力がある。視聴率やアクセス数を稼ぐためには効果的な手段と言える」と分析しています。しかし、当事者の気持ちや報道の倫理を軽視してはならないと警鐘を鳴らしています。
当事者が求める報道とは?
岡さんや阿部さんのような経験をした人々は、どのような報道を求めているのでしょうか? それは、事実を正確に伝え、問題の本質に迫る報道です。感情に訴えるだけでなく、教訓を伝え、社会の改善に繋がるような報道こそが求められています。
まとめ
美談報道は、時に当事者にとって大きな負担となることがあります。メディアは、視聴者の共感を得ることだけでなく、事実を正確に伝え、問題解決に貢献するという報道の本来の役割を改めて認識する必要があるのではないでしょうか。