【カリフォルニア山火事】アルタデナ地域の住民、灰燼に帰した故郷に悲痛な叫び

カリフォルニア州ロサンゼルス近郊のアルタデナ地域を襲った山火事。美しい住宅街は焦土と化し、多くの住民が家を失う悲劇に見舞われました。この記事では、被災地の現状と住民たちの苦悩、そして復興への第一歩をjp24h.comが現地取材を基にお伝えします。

すべてを失った住民たちの声

「全てが灰になった。一体どうやって元に戻せばいいんだ…」

建築会社を経営するポール・キムさんは、変わり果てた自宅跡の写真を前に、絶望を隠せません。山火事発生当時、すぐに避難したキムさんは「また戻ってこられるだろう」と安易に考えていましたが、家財道具はもちろん、思い出の品々も全て灰燼に帰していました。「今は、住んでいた場所に行くことさえ辛い」と、キムさんは言葉を詰まらせました。

alt=山火事の煙が立ち込める様子alt=山火事の煙が立ち込める様子

アルタデナのノース・アルタデナ・ドライブとカピアス・ドライブの交差点付近でも、同様の光景が広がっていました。かつては家が立ち並んでいた場所には、焼け焦げた骨組みだけが残るのみ。茫然自失の表情でツルハシとスコップを手にしたホセさんは、「娘が住んでいた家なんです。あまりにも辛いだろうから、私が代わりに残った物だけでも探そうと思って…」と語りました。

傷跡深く残る街の姿

高齢者施設「トゥーパームス・ナーシングセンター」があった場所も、変わり果てていました。壊れた車椅子、病院用ベッド、そして黒く焼け焦げた鉄骨が、火災の激しさを物語っています。近隣のマクドナルドの窓ガラスは粉々に砕け散り、外壁には煤の跡が生々しく残っていました。

学校も被害、住民の心にも深い傷

かつて子供たちの笑い声が響いていた「アルベセン・チャーター・スクール」も、跡形もなく焼失。鉄条網の向こう側に見えるバスケットボールのゴールポストと学校掲示板だけが、かつての賑わいを偲ばせます。「今は何も言いたくない。活気に満ちていた街が一瞬でこんな姿になってしまうなんて…」。取材に応じた住民は、深い悲しみをにじませました。

alt=焼け焦げた中古車alt=焼け焦げた中古車

アルタデナを含む近隣地域は、在米韓国人が多く暮らすエリア。シカゴタイトルの不動産情報によると、アルタデナ地域だけで韓国系の姓を持つ住宅所有者が150軒、パシフィック・パリセーズでは130軒確認されています。実際の被害はさらに大きいと予想されます。

復興への第一歩、住民を支える温かい手

深い悲しみに包まれたアルタデナ地域ですが、少しずつ復興への歩みを進めています。ウッドバリー・ロードとフェアオークス・アベニューの交差点では、メキシコ料理のケータリング会社がテントを張り、消防隊員や住民に無料でタコスを振る舞っていました。「少しでも力になれれば」と語るスタッフのラファエル・ロドリゲスさんの言葉に、住民たちの心が温められます。

パサディナ・コンベンションセンターは避難所となり、約600人が身を寄せています。連邦緊急事態管理庁(FEMA)の職員は避難所で、被災者への支援について説明を行いました。「家2軒が全焼しました。家族は無事でしたが、家財道具は全て失いました…」。避難所でFEMA職員との相談を終えたテレサさんは、今後の生活への不安を口にしました。

カリフォルニアの山火事は、多くの住民から家や思い出を奪いました。しかし、被災地では温かい支援の輪が広がり、復興への希望の光が灯り始めています。jp24h.comは、今後も被災地の状況や復興への取り組みを継続して発信していきます。