日本の建国神話、神武天皇の東征。初代天皇である神武天皇が日向の地から大和へと旅立ち、橿原宮で即位したという壮大な物語は、日本人なら誰もが一度は耳にしたことがあるでしょう。 今回は、考古学の視点からこの神武東征のルートや当時の様子を紐解き、古代日本のロマンに迫ります。
神武天皇東征とは?
『古事記』や『日本書紀』によると、神武天皇(伊波礼毘古)は南九州の日向から東へと進み、最終的に大和の地で即位し、日本という国を建国したとされています。この一大イベントは「神武東征」もしくは「神武東遷」と呼ばれ、日本神話の重要な一部分を成しています。この東征物語がなければ、大和朝廷の成立は説明できないとさえ言われているのです。 建国の年は西暦換算で紀元前660年。想像もつかないほど遠い昔に、一体どのような旅路があったのでしょうか。
alt=神武天皇が八咫烏に導かれる様子を描いた「神武天皇東征之図」
東征ルート:日向から大和への長く険しい道のり
神武天皇一行は、現在の宮崎県、大分県、福岡県、広島県、岡山県、大阪府、和歌山県、三重県といった地域を経由し、最終的に大和へと辿り着いたとされています。 その道のりは平坦なものではなく、様々な困難が待ち受けていたことでしょう。当時の航海技術や地理的条件を考えると、まさに一大冒険だったに違いありません。
alt=宮崎の日向を出発した神武東征のルートを示す地図
考古学で検証する神武東征
かつて、神武東征は「非科学的」だとする見方が主流でした。 しかし、考古学者・森浩一氏は著書『日本神話の考古学』(KADOKAWA)の中で、神武東征を考古学的な視点から考察し、新たな光を当てています。 森氏によると、神武東征は単なる神話ではなく、背後には実際に起こった出来事、つまり九州から近畿地方への勢力移動があった可能性を示唆しています。
大移動の目的:より良い生活空間を求めて
神武東征の目的は、経済的な困窮による逃散ではなく、より良い生活空間を求めた政治的・軍事的な集団移動だったと考えられています。彼らは故郷の南九州を捨て去るのではなく、新たな土地での繁栄を目指したのです。 このことから、当時の社会構造や人々の生活の様子を垣間見ることができます。
海上ルート:船団を組んでの航海
神武天皇一行は主に船で移動していたと考えられています。古代の航海は日の出から日没までが基本だったため、各地に寄港しながら長い時間をかけて大和を目指したのでしょう。 宇佐、岡、安芸、吉備などが主要な寄港地として挙げられており、中には8年間も滞在した場所もあったようです。 考古学者の山田教授(仮名)は、「古代の航海技術を考えると、これほど長距離の移動は非常に困難だったはず。神武天皇一行の強い意志と優れた航海術が伺えます」と語っています。
神話のロマンと考古学の真実
神武天皇東征は、日本の起源に深く関わる重要な物語です。 神話というベールに包まれた出来事を、考古学のメスで解き明かすことで、古代日本の姿をより鮮明に浮かび上がらせることができるでしょう。 この壮大な旅路に思いを馳せ、古代の人々の息吹を感じてみてはいかがでしょうか。