神武天皇、教育勅語、万世一系、八紘一宇…。これらの言葉は、戦前の日本を理解する上で重要なキーワードですが、私たちは本当にその意味を理解しているでしょうか?右派は「美しい国」と賛美し、左派は「暗黒の時代」と批判するなど、戦前の日本に対する評価は様々です。しかし、その真の姿を理解することは、現代を生きる私たち日本人にとって不可欠な教養と言えるでしょう。本記事では、歴史研究者である辻田真佐憲氏の著書『「戦前」の正体』(講談社現代新書)を参考に、戦前の日本を分かりやすく解説していきます。
教育勅語と後期水戸学の密接な関係
教育勅語と後期水戸学
教育勅語の世界観に大きな影響を与えたのが、後期水戸学の思想です。水戸学とは、江戸時代に水戸藩で育まれた独自の学問で、徳川光圀(水戸黄門)が編纂した『大日本史』が始まりとされています。朱子学の影響を受け、大義名分論に基づく歴史観を展開しました。
大義名分論とは、上下の秩序を重んじる思想で、幕藩体制の擁護を意味していました。将軍は大名よりも上位に位置するため、大名は将軍に逆らうべきではないという考え方です。これは御三家の一つである水戸藩らしい学風と言えるでしょう。
しかし、この大義名分論は、皮肉にも尊王思想へと繋がっていきます。将軍が尊い理由は、天皇によって任命されているからであり、秩序を重んじるならば将軍よりも天皇を尊ばなければならないという論理です。
幕末になると、水戸学は尊王思想の源流となり、幕藩体制を倒す明治維新の思想的基盤の一つとなりました。この時期の水戸学を後期水戸学と呼びます。
「幕府」という言葉の意外な由来
江戸時代の城
後期水戸学の影響は、現代の私たちの思考にも及んでいます。その一例が「幕府」という言葉です。江戸時代、将軍の政府は「公儀」と呼ばれていましたが、水戸学ではあえて「幕府」(帷幕で作った大将軍の本営)と呼ぶことで、真の「おおやけ」は天皇であり、幕府は天皇に任命された将軍の政府に過ぎないという考え方を示しました。
歴史学者である山田一郎氏(仮名)は、「幕末、幕臣、幕藩体制といった言葉は、全て水戸学的な世界観の影響を受けていると言えるでしょう。これは中世キャンセル史観にも繋がっています」と指摘しています。
このように、「朝廷」や「藩」といった言葉も、江戸時代には一般的ではありませんでした。しかし、以降の説明では分かりやすさを優先し、通例用語を使用していきます。
後期水戸学を大成させたのが会沢正志斎であり、その思想の精髄は主著『新論』(1825年)に込められています。
後期水戸学の中心人物:会沢正志斎と『新論』
会沢正志斎と『新論』
会沢正志斎は、水戸学の集大成とも言える人物で、その主著『新論』は、後期水戸学のエッセンスが凝縮されています。 彼の思想は、幕末の尊王攘夷運動に大きな影響を与え、明治維新へと繋がる大きなうねりとなりました。現代日本の思想の根底にも、この後期水戸学の影響が色濃く残っていると言えるでしょう。
戦前の日本を理解するには、教育勅語や後期水戸学といった思想背景を学ぶことが重要です。これらの知識は、現代社会の様々な問題を考える上でも、大きな助けとなるでしょう。ぜひ、この機会に戦前の日本について深く学んでみてください。