高橋治之氏、そしてその弟である高橋治則氏。二人の人生は、まさに波乱万丈という言葉がぴったりです。兄・治之氏は東京オリンピック汚職事件のキーパーソンとして世間を騒がせ、弟・治則氏は長銀破綻に関与したとされています。今回は、慶應幼稚舎から慶應大学へと進み、エリートコースを歩みながらも、架空パーティー券販売で慶應高校を退学になった治則氏に焦点を当て、その数奇な人生を紐解いていきます。
退学からの慶應大学入学劇
架空パーティー券販売という不祥事で慶應高校を退学になった治則氏。しかし、その後驚くべきことに慶應大学の法学部に入学を果たします。一度退学になったにも関わらず、なぜ再び慶應に戻ることができたのでしょうか?
復活劇の真相
塾高時代の同級生は、大学構内で治則氏を見かけた時、驚きを隠せませんでした。治則氏は一般試験を受けて法学部に合格したと説明したそうですが、退学処分を受けた人物が再び慶應に戻ってくるという異例の事態に、周囲は様々な憶測を巡らせました。
alt
当時、慶應関係者の間では、治家と満州人脈でつながる後の環境庁長官、毛利松平氏の尽力があったのではないかという噂が囁かれていました。真偽は定かではありませんが、入学式での治則氏はまさに“注目の的”だったことは間違いありません。
「お前、何やってんだよ」
当然ながら、本来いるはずのない治則氏を見て、周囲からは驚きの声が上がりました。高校を退学になりながらも慶應に返り咲いたという伝説は、塾高の後輩だけでなく、慶應志木の生徒たちの間でも語り草になったといいます。
勉強漬けの日々と慶應での再スタート
治則氏自身は後に「受験前は24時間勉強した」と語っていますが、持ち前の要領の良さで周囲を翻弄するのも、彼らしい振る舞いだったと言えるでしょう。
アイスホッケー同好会「レンジャース」
こうして再び慶應に戻ってきた治則氏は、何事もなかったかのように友人たちとの関係を修復していきました。兄・治之氏が塾高ボクシング部の同級生らと立ち上げたアイスホッケー同好会「レンジャース」にも参加し、学生生活を謳歌していたようです。
「大学の面白い遊び人がいっぱい集まるから来いよ」
治則氏の誘いを受け、友人たちも「レンジャース」に顔を出すようになりました。「レンジャース」は、治則氏にとって慶應での新たな人間関係を築く場となったのです。
まとめ
波乱万丈の人生を送った高橋治則氏。慶應高校退学という挫折を乗り越え、慶應大学に返り咲いた彼の復活劇は、まさに驚くべきものです。周囲を巻き込み、常に注目を集める存在であった治則氏。その数奇な人生は、私たちに多くのことを考えさせます。