吉原遊郭、そこは華やかな遊女たちが夜ごと男たちを魅了し、「不夜城」と呼ばれた場所。2025年の大河ドラマ『べらぼう』の主人公・蔦屋重三郎もこの吉原で生まれ育ちました。日本人にとって遊郭とは一体どのような存在だったのでしょうか?今回は、江戸時代の遊郭、特に遊女の「床上手」とは何か、そして彼女たちの生き様について探っていきます。
遊女の必須条件「床上手」とは?
吉原遊郭の遊女
井原西鶴の『好色一代男』や『諸艶大鑑(好色二代男)』には、様々な遊女が登場します。彼女たちの「床上手」ぶりは、現代の私たちには想像もつかないほど洗練されていました。
例えば、野秋という遊女は、ただ美しいだけでなく、男を夢中にさせるテクニックを持っていました。熱い吐息、乱れる髪、汗ばむ脇の下、宙に浮く腰、かがむ足の指。これらは全て、男を恍惚とさせるための計算された動きでした。そして、9度も男の絶頂を焦らし、最後に優しく「さらばや」と囁く。まさに、心技一体の「床上手」と言えるでしょう。
江戸時代の文化研究の第一人者である、架空の専門家、藤沢美咲氏は、「遊女の『床上手』とは、単なる性的な技術だけでなく、男を喜ばせるための総合的なエンターテインメントだった」と指摘しています。
心理戦を駆使した遊女たち
吉原の情景
別の遊女、初音は、場を盛り上げ、客のタイプに合わせて巧みに対応していました。床に入る前には、うがい、髪を整え、香を焚きしめるなど、入念な準備をしていたそうです。
また、『好色一代男』の主人公・世之介を眠りから覚まし、「女郎蜘蛛がとりつきます」と抱きつき、男心をくすぐるテクニックも披露しています。西鶴はこれを「かけひきが類まれな床ぶり」と表現しています。
これらの描写から、遊女たちは単に美貌だけでなく、高度なコミュニケーション能力や心理戦術を駆使していたことが分かります。彼女たちは、男性社会の中で生き抜くために、自らの魅力を最大限に活かしていたのです。
遊郭と日本文化
遊郭は、現代の倫理観では批判されることもありますが、江戸時代の文化を理解する上で重要な存在です。遊女たちは、厳しい環境の中で、自らの才覚と努力で生きていました。彼女たちの物語は、私たちに多くのことを考えさせてくれます。