「法の支配」より「人の支配」、「人質司法」の横行、「手続的正義」の軽視…
なぜ日本人は「法」を尊重しないのか?
【写真】「果敢な判断」をした裁判官には「報復や差別」が行われていた恐ろしい事実
発売間もないうちに重版が決まった話題の書『現代日本人の法意識』では、元エリート判事にして法学の権威が、日本人の法意識にひそむ「闇」を暴きます。
本記事では、〈多くの人が知らない、「果敢な判断」をした裁判官には「報復や差別」が行われていた「恐ろしい事実」〉にひきつづき、政治をめぐる法意識についてみていきます。
※本記事は瀬木比呂志『現代日本人の法意識』より抜粋・編集したものです。
第二期安倍政権時代以降の自民党、また政治全般の劣化
政治については、第二期安倍晋三政権時代(2012~20年)以降の自民党、また政治全般のはなはだしい劣化という問題がある。
自民党は、利権政党的性格が強いとはいえ、かつては、考え方にも幅があり、官僚出身者が主として首相を務めていた時期には、首相も、政治姿勢や性格はおくとして、少なくとも能力については一定のものを備えていた。しかし、森喜朗政権(2000~01年)のころから劣化がかなり目立ちはじめた。それでも、統治は法に基づいて行われなければならないという法治主義の原則だけは何とか守られていたのだが、第二期安倍政権は、確信犯的にそれを有名無実化しようとし、また、「法」や「手続」そのものを軽視する傾向が格段に強かった。
こうした傾向の表れといえる第二期安倍政権時代の目立った事件、問題をいくつか挙げてみよう。
(1)森友学園問題、加計学園問題関与疑惑。
(2)森友学園問題に関する財務省の決裁文書改竄。
(3)「桜を見る会」への支援者等招待、その私物化。
(4)内閣法制局長官を内部昇格の慣例を破って外務官僚から採用する異例の強引な人事とセットになって行われた集団的自衛権の解釈変更(本来憲法改正によるべき集団的自衛権の行使認容を閣議で決定し、各種の関連立法を強行採決)。
(5)内閣人事局制度を悪用した露骨な官僚統制(この後、官僚志望者、特に優秀な志望者が激減)。
(6)一代で日銀を前記のとおり身動きの取れない状態にしてしまった黒田東彦(はる ひこ)日銀総裁の任用とこれに伴う日銀審議委員へのリフレ派任用。
(7)政権に近いといわれた黒川弘務東京高検検事長(森友学園に関する財務省の文書改竄や国有地の値引きについて、佐川宣寿元国税庁長官らを不起訴とし、「安倍政権の守護神」と揶揄されることもあったという〔2024年7月3日東京新聞「こちら特報部」〕。『現代日本人の法意識』第7章で言及した賭け麻雀事件の人物)の恣意的な定年延長とその後の関連改正法案提出(特定の検察官の定年を政府の判断で延長できるようにするものだったが、各界の強い反対で廃案)。
ほかにも、(8)高市早苗総務相が放送法四条違反を理由として放送局に対し電波停止を命じる可能性に言及した事件、
(9)ジャーナリストの伊藤詩織氏が、最も安倍首相に近いジャーナリストとの評もある山口敬之氏から性被害を受けたとして行った告訴につき、逮捕状が発付されたにもかかわらず上層部の指示で執行されなかった事件、
(10)安倍首相の国会におけるヤジ、反対派市民に対する暴言等々、挙げてゆけばきりがない。
要するに、この時代の日本の政治は、抑え込まれたメディアの目に余る忖度傾向と相まって、完全に、「法の支配」ならぬ「人の支配」の状況、現代の民主政治にあって当然に守られるべき「手続的正義」無視の状況へと退行していたのである。
前記のとおり、この時代以前の政権には、法律、手続、守られるべき慣例へのそれなりの配慮があったが、第二期安倍政権は、解釈改憲に象徴されるように、「法の支配」はおろか、「法治主義」までをも有名無実化する言動が顕著だった。この時代に至り、長らく続いてきた自民党と政治全般の劣化、その「法意識」の著しい低下は、最後の一線が突破されてしまったのではないか、完全にたがが外れてしまったのではないかとの印象がある(2024年9月の総裁選では、相対的に中道寄りといわれる石破茂氏が、安倍政治の後継者を自認する高市早苗氏をかろうじて制したが、石破氏の政策や実行力、それによる党と政治の改善の見込みについてはなお未知数であり、予断を許さない)。
一方の野党が自民党に対抗しうるような健全で確固としたヴィジョンをもっていればまだ救いがあるのだが、実際には必ずしもそうはいえない。野党に対する人々の信頼もまた、全般に低下していることが否定しにくいのである。
端的にいえば、現在の日本の政党は、その多くが、何らかの意味での利権政党、またポピュリズム的な性格の強いイデオロギー政党であって、言葉の本来の意味における自由主義政党はもちろん、言葉の本来の意味における保守主義政党すら存在しないのではないか? そんな疑念さえもたざるをえない状況なのだ。積極的に支持できるしっかりした政党がないからこそ、無党派層が五割、六割にもおよぶという事態になっているのではないだろうか。