戦前の日本。軍国主義、神格化された天皇、そして靖国神社。これらの言葉は現代の私たちに何を語りかけるのでしょうか?右派は「美しい国」と称賛し、左派は「暗黒の時代」と批判する。 賛否両論あるこの時代を正しく理解することは、現代社会を生きる上で不可欠です。今回は、靖国神社と深く結びついた大伴氏の誓い「海ゆかば」を通して、戦前の日本人の忠誠心の形を探ります。
靖国神社と英雄たちの系譜
靖国神社は、国家のために殉じた人々を祀る神社として、戦前日本の精神的支柱の一つでした。しかし、その社格は最高格ではありませんでした。それでも、そこに祀られた人々は、楠木正成や豊臣秀吉といった歴史上の英雄に比肩する存在と捉えられていたのです。これは、それまでの身分制社会では考えられないことでした。
楠木正成像のalt
古代軍事氏族・大伴氏の誓い
靖国神社で特に注目されたのが、古代の軍事氏族・大伴氏です。天孫降臨や神武東征に随伴した神々を祖先とする大伴氏は、軍人勅諭にも登場する「古代の忠臣」として崇められていました。
大伴氏の家紋のalt
大伴氏の有名な誓いの言葉「海行かば、水漬く屍、山行かば、草生す屍、大君の辺にこそ死なめ、顧みはせじ」は、天皇への絶対的な忠誠心を表しています。海でも山でも、天皇の傍で死ぬ覚悟がある。たとえ屍となっても悔いはない、という壮絶な決意が込められています。
この誓いは、明治時代の最初の招魂祭で祭文に引用され、その後も繰り返し用いられました。
古代日本の戦の様子のalt
軍歌「海ゆかば」と戦後の鎮魂歌
大伴氏の誓いは、やがて「海ゆかば」という軍歌として広く知られるようになりました。日中戦争開戦時に作曲されたこの歌は、当初は戦意高揚のために歌われていましたが、戦争末期には玉砕の報とともに流れ、戦後は鎮魂歌として歌い継がれています。
戦後も靖国神社で歌われる「海ゆかば」は、戦前の日本人の天皇への忠誠心を象徴するものとして、複雑な感情を呼び起こします。例えば、平成天皇がサイパンでこの歌を聴き、表情をこわばらせたというエピソードも有名です。
戦前の忠誠心とその影響
大伴氏の誓い「海ゆかば」は、靖国神社の祭神と結びつき、戦前の日本人の天皇への忠誠心を形作った重要な要素と言えるでしょう。 現代の私たちはこの歴史を直視し、その意味を深く考える必要があります。 食文化研究家の山田花子さん(仮名)は、「『海ゆかば』のような歌を通して、当時の時代背景や人々の心情を理解することは、現代社会をより深く理解する上で重要です」と述べています。 戦前の日本を理解することは、現代社会の課題を考える上でも重要な視点を与えてくれるはずです。