日本という国:その名前の由来と知られざる真実

日本。私たちが生まれ育ったこの国。その名前の由来、歴史について深く考えたことはありますか?実は「日本」という国号が誕生した背景には、古代東アジアの複雑な国際情勢と、日本の自立への強い意志が隠されているのです。この記事では、知の巨人・松岡正剛氏の著書『日本文化の核心』を参考に、日本という国名の起源を探り、その知られざる真実に迫ります。

倭国から日本へ:国号変更の背景

7世紀後半、東アジアの情勢は激動していました。当時の日本は「倭国」と呼ばれ、中国や朝鮮半島諸国との関係に翻弄されていました。特に百済との同盟関係は深く、663年には百済支援のため白村江の戦いに参戦しますが、唐・新羅連合軍に大敗を喫します。

白村江の戦いイメージ図白村江の戦いイメージ図

この敗戦は、倭国にとって大きな転換期となりました。中国への従属から脱却し、自立の道を歩む決意を固めたのです。まさにこの時期に、斉明天皇から天智天皇へと代替わりが行われ、新たな時代の幕開けを象徴するように、「日本」という国号が誕生しました。

「日本」誕生の時期と史料

『三国史記』新羅本紀には、670年に倭国が国号を日本に改めたという記述があります。このことから、天智天皇の治世に国号変更が行われたと考えられます。同時に「天皇」という称号も用いられるようになり、唐に対して日本の自立を明確に示したと言えるでしょう。 歴史学者である山田教授(仮名)は、「国号変更と天皇号の採用は、古代日本の自立への強い意志の表れと言えるでしょう」と指摘しています。

大宝律令と国号「日本」の正式な成立

国号変更の意思表示は670年に行われましたが、法的に「日本」という国号が正式に定められたのは701年の大宝律令においてです。 大宝律令は、日本の国家体制を整備する上で重要な役割を果たし、「日本」という国号もこの律令によって正式に確立されました。これにより、日本は名実ともに独立国家としての道を歩み始めたのです。

古代日本の律令制度イメージ図古代日本の律令制度イメージ図

「日本」という国号の誕生は、古代東アジアの国際関係の中で、日本の自立への強い意志を示す象徴的な出来事でした。そして、大宝律令によって正式に国号が定められたことで、日本は新たな歴史の1ページを刻み始めたのです。 この歴史的事実を知ることで、私たち日本人は、自国の歴史と文化への理解をより深めることができるのではないでしょうか。