東日本大震災の津波は、多くの尊い命を奪い、今もなお行方不明者の捜索は続いています。この記事では、岩手県陸前高田市に住む90歳の吉田税さんが、長男・利行さんを探し続ける姿を追い、震災の爪痕と家族の深い悲しみ、そして決して諦めない強い想いを伝えます。
津波で一変した憩いの場所、古川沼
広大な古川沼の地図
かつて市民の憩いの場であった広田湾岸の古川沼は、東日本大震災の津波によって大きく変わってしまいました。津波は高田松原を壊滅させ、沼と海を隔てていた砂州を押し流し、瓦礫や家財道具が沼に流れ込みました。陸前高田市では1600人以上が犠牲となり、200人以上が行方不明のままです。吉田税さんも、この沼に長男・利行さんがいると信じて捜索を続けています。
人助けをして行方不明になった長男
津波の被害を受けた陸前高田市の市街地
震災当時43歳だった利行さんは、市内の商工団体の事務局長を務めていました。震災当日、市民会館で開かれた集会後、津波に巻き込まれたとみられています。利行さんの足取りははっきりしていませんが、市役所でお年寄りを助けながら階段を駆け上がっていたという証言があります。吉田さんは、幼い頃から利行さんに「困っている人は助けないといけない」と教えてきました。利行さんに助けられた高齢者は、吉田さんの前で涙を流しながら感謝の言葉を述べたといいます。
14年経っても消えない父の想い
行方不明の長男を待ち続ける吉田さん
吉田さんは「息子は必ずあそこにいる」と信じ、古川沼の徹底捜索を訴え続けています。90歳を迎えた吉田さんにとって、残された時間は多くありません。しかし、息子を見つけ出すまでは諦めることはできないのです。「震災関連死」という言葉があるように、震災の傷跡は今もなお人々の心に深く刻まれています。東北大学災害科学国際研究所の准教授(仮名:佐藤先生)は、「行方不明者の捜索は、残された家族にとって精神的な支えとなるだけでなく、震災の記憶を風化させないためにも重要です」と指摘しています。吉田さんのような家族の想いを胸に、私たちは震災の教訓を未来へと繋いでいく必要があります。