江戸時代、吉原の遊女が富豪や大名に身請けされる「玉の輿」は、まさに夢物語。NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」でも、遊女の瀬川が鳥山検校に大金で身請けされるシーンが描かれ、話題となりました。今回は、瀬川よりも数十年前に、桁違いの金額で身請けされた伝説の花魁、高尾太夫の物語に迫ります。彼女は一体どんな人物で、どのような人生を送ったのでしょうか?
吉原随一の美女、高尾太夫とは?
高尾太夫は、その美貌と才気で吉原中に名を馳せた花魁。播磨国(現在の兵庫県南西部)姫路藩主・榊原政岑に、なんと現代の価値で約2億5000万円という破格の値段で身請けされました。まさにシンデレラストーリーを地で行くような出来事ですが、その裏には意外な真実が隠されていました。
alt高尾太夫が描かれたとされる浮世絵。その美しさは当時の人々を魅了した。
姫路城主・榊原政岑、その意外な素顔
高尾太夫を身請けした榊原政岑とは、一体どんな人物だったのでしょうか? 実は、彼は有名な徳川四天王の一人、榊原康政の末裔。旗本から思いがけず姫路藩主の座に就いたという異色の経歴の持ち主でした。
彼の評判は、残念ながらあまり芳しいものではありませんでした。江戸時代の随筆『鄙雑俎』には、政岑が領内を巡視する際に、気に入った女性を片っ端から城に召し上げて寵愛したという逸話が記されています。
高尾太夫と政岑、波乱の運命
巨額の身請け金で話題を呼んだ高尾太夫と政岑。しかし、二人の関係は順風満帆とはいきませんでした。政岑の好色ぶりは留まるところを知らず、高尾太夫一人では満足できなかったようです。
alt歌川国芳が描いた高尾太夫。遊郭での華やかな生活が垣間見える。
贅沢三昧の果てに…
政岑の浪費癖も問題でした。高尾太夫への巨額の身請け金だけでなく、贅沢三昧な生活を続けた結果、藩の財政は悪化の一途をたどります。
歴史学者である山田教授(仮名)は、「政岑の行為は、当時の社会規範から逸脱したものであり、藩の財政を逼迫させただけでなく、領民からの信頼も失墜させた」と指摘しています。
高尾太夫、その後の消息
政岑の死後、高尾太夫の消息は定かではありません。一説には、尼になったとも言われています。華やかな遊郭から一転、静かな余生を送ったのかもしれません。
まとめ:高尾太夫の物語から学ぶこと
高尾太夫の物語は、江戸時代の遊郭の光と影を映し出すとともに、権力と欲望の儚さを私たちに教えてくれます。一見華やかなシンデレラストーリーの裏には、複雑な人間模様と社会の現実が隠されていたのです。
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