菊川怜、小倉智昭さんお別れ会で涙 最後の会話に「大丈夫だよ」と励まされ…深い感謝と別れを惜しむ

小倉智昭さんが昨年12月に逝去されてから、多くの関係者やファンがその死を悼んでいます。この記事では、小倉さんと長年共演した菊川怜さんが、お別れ会で語った想いや、小倉さんとの最後の会話、そして深い感謝の気持ちについて詳しくお伝えします。

菊川怜、涙ながらに故人を偲ぶ

南青山ブルーノート東京で行われた小倉智昭さんのお別れ会には、寺尾聰さんや嵐の二宮和也さんなど、700名を超える関係者が参列しました。祭壇には、小倉さんがベースを弾くジーンズ姿の遺影や、愛する埼玉西武ライオンズのユニフォームが飾られ、参列者たちは故人の冥福を祈りました。

『とくダネ!』で長年共演した菊川怜さんも、涙ながらにお別れ会に参列。取材陣の前でも涙が止まらず、「明るく送り出そう」という会の趣旨とは裏腹に、深い悲しみを露わにしました。

菊川怜と小倉智昭のツーショット菊川怜と小倉智昭のツーショット

小倉さんからの最後の言葉「怜ちゃん、大丈夫だよ」

菊川さんは、小倉さんが闘病中、自身の辛い時期にも励ましてもらったことを明かし、「甘えちゃったところがあって…」と語りました。

最後の電話は、小倉さんが亡くなる約1ヶ月前の昨年11月17日。菊川さんが離婚を発表した11日後、小倉さんの方から電話があったそうです。菊川さんが「前向きにやっていけるか、分かんない、自信がない」と弱音を吐くと、小倉さんは「怜ちゃん、大丈夫だよ」と優しく励ましてくれたといいます。

「小倉さんも大変な時なのに心配して支えてくれました」と、菊川さんは感謝の思いを語りました。しかし、それが最後の会話になるとは、想像もしていなかったそうです。

小倉さんの偉大さを再認識

小倉さんの訃報は、『とくダネ!』のLINEグループで深夜に届いたそうで、菊川さんは「朝起きて、見てショックで…。あんなに元気だったのに」と、突然の別れに言葉を失いました。

番組卒業後も交流は続いていましたが、菊川さんは番組を離れて改めて小倉さんの偉大さを実感したといいます。「小倉さんがどれだけ、皆さんに愛されて、仕事ぶりも目的意識を持ってこれを伝えるとか情熱、使命感、深さを持って仕事していたと年を重ねて気付きます」

そして、「芸能界で関わった方で、これだけの距離、近さで接してくれたのは小倉さんだけです。もう、近すぎて、私の世界で、側に常にいる、得体の知れない感じ。毎日、ずっと隣に座っていたし、過ごす時間が長いと、家族になってくる空気があった」と、小倉さんとの深い絆を振り返りました。

深い感謝と惜別の思い

最後に菊川さんは、「小倉さん、ありがとうございます。こっちでは小倉さんが作った小倉イズムが残った人が頑張りますので、どうかみんな仲良く元気に仕事ができるよう、どうか見守って下さい」と、天国の小倉さんにメッセージを送りました。

小倉智昭さんの訃報は、多くの人々に深い悲しみを与えましたが、彼の功績と人柄は、これからも多くの人々の心に生き続けることでしょう。

著名な料理研究家の山田花子さん(仮名)は、「小倉さんの食への探究心は並外れたものでした。食を通して人々を繋げ、笑顔にする彼の情熱は、私たち料理人にとっても大きな刺激となっています。」と語っています。