1995年3月20日、東京の地下鉄を震撼させた未曾有のテロ、地下鉄サリン事件。通勤ラッシュの朝、5つの路線で同時に散布されたサリンは、多くの尊い命を奪い、数千人もの人々に深刻な被害をもたらしました。今回は、事件発生直後から除染活動に尽力した自衛隊、その中心人物である32連隊長の福山隆氏の証言を基に、当時の緊迫した状況と自衛隊の活動に迫ります。
未曾有のテロ、その真相とは
オウム真理教による計画的犯行であった地下鉄サリン事件。福山氏は、教団本部への強制捜査を妨害するために、警察関係機関が集まる霞ヶ関周辺を狙ったテロだと分析しています。教団内には高度な知識を持つ信者が多数存在し、綿密な計画と役割分担のもと、化学兵器サリンが散布されました。閉鎖空間である地下鉄という場所を選んだことで、被害が拡大したことは言うまでもありません。
地下鉄サリン事件当時の写真
休日のゴルフ場から緊急出動
事件発生当日、福山氏は送別ゴルフの最中でした。ゴルフ場のフロントで部下からの連絡を受け、事態の重大さを直感。直ちに本部へ向かう決断を下します。阪神淡路大震災での教訓から、迅速な対応を重視していた福山氏。移動中もラジオで情報収集を行い、皇室を狙ったテロの可能性も視野に入れながら状況分析を進めていました。
災害派遣という異例の命令
政府からの出動命令は「災害派遣」という異例の形式でした。しかし、命令受領後わずか20分で本部に到着。福山氏の部隊と化学科部隊だけが招集されました。この迅速な対応が、その後の除染活動に大きく貢献することになります。
上九一色村:教団本部の捜索
山梨県上九一色村にあったオウム真理教本部。警察による捜索では、サリン製造に使用されたとみられる化学物質が発見されました。この発見は、事件の真相解明に繋がる重要な手がかりとなりました。
山梨県上九一色村にあった教団本部
緊迫の除染活動
地下鉄のホームを中心に、自衛隊による除染活動が展開されました。特殊な防護服を着用し、危険な現場での作業は困難を極めました。福山氏のリーダーシップのもと、隊員たちは懸命に任務を遂行しました。
教訓と未来への提言
地下鉄サリン事件は、日本の安全保障に対する大きな課題を突きつけました。福山氏は、事件の教訓を風化させず、テロ対策の強化と国民の安全を守るための取り組みを継続していくことの重要性を訴えています。
地下鉄サリン事件から28年。事件の記憶を風化させることなく、教訓を未来に繋げていくことが私たちの責務です。
この記事は、福山隆氏の著書『「地下鉄サリン事件」自衛隊戦記 出動部隊指揮官の極秘メモ』(潮書房光人新社)を参考に作成しました。また、セキュリティ専門家の佐藤一郎氏(仮名)は、「地下鉄サリン事件は、日本のテロ対策の転換点となった重要な事件です。今後の対策強化に繋げていく必要があります」と述べています。