いまだ続く斎藤元彦知事(47)を巡る兵庫県政の混乱の裏には「日本維新の会」の迷走ぶりも大きく関係している。その維新の創設者で、お隣の大阪府知事を務めた経験もある橋下徹氏(55)が、斎藤知事と維新の「罪と罰」について、歯に衣着せず語り尽くした――。
【写真】遺されたままの竹内英明・元県議のHP 最後は胸が痛むような内容の投稿となっていた
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「昨年から続く斎藤元彦・兵庫県知事を巡る騒動を見て、僕が立ち上げた『維新』が当初のものとは“およそかけ離れた組織になってしまった”と感じざるを得ません。残念に思うと同時に、維新をつくった者として責任も感じています。吉村(洋文)新体制が組織を立て直すことができるかが、今後のポイントです」
一語一語、明瞭な口調でこう語るのは、「日本維新の会」創設者の橋下徹氏である。
橋下氏がその母体である地域政党・大阪維新の会を結党し、代表に就任したのは2010年4月。それから15年の時を経て、橋下氏の胸に去来するのは、一抹のじくじたる思いだという。
「一連の兵庫県政における混乱では、維新の会の存在が注目を集めましたが、維新のスタンスがブレブレだったことが騒動を拡大させた一因だと見ています。その理由として挙げられるのが、維新の政治思想や政治理念、党の目標が、熱の冷めた非常に弱いものになってしまったことにあると思っています」
4年前の兵庫県知事選挙で、自民党と日本維新の会の推薦を受けた斎藤氏が初当選した際、メディアは「大阪以外で初めて誕生した維新系知事」と報じた。
「永田町での生活に憧れを持ったメンバーたちが……」
当選後、日本維新の会本部(大阪市)を訪れた斎藤氏は、同党の馬場伸幸幹事長(当時)と並んで記者会見に臨み、「維新の改革スピリットをしっかりと一緒になってやっていく」と宣言した。
「大阪の行財政改革を断行した改革スピリットこそが、大阪維新という政党の核です。その根源にあるのは“金の使い方には無茶苦茶厳しい”姿勢です。ところが2012年に国政政党・日本維新の会を結成してからは、改革精神よりも、国会議員になりたくて入党してきたメンバーも多くいたと感じました。大阪行財政改革を経験しておらず、人脈を広げることこそが政治だと考える自民党地方議員出身の維新メンバーたちが国会議員となり、日本維新の会の幹部になっていった。彼らは自民党的政治、永田町での生活に憧れを持っており、ここから維新が狂い始めたのだと思います」