【全2回(前編/後編)の前編】
この5月でオウム真理教の教祖・麻原彰晃が逮捕されてから30年。幹部の多くが極刑に処される中、重大事件での逮捕を免れ、その後の人生を贖罪に捧げているのが、野田成人氏(58)だ。彼は、ホームレス支援として「大家業」を始め、オウム被害者へ賠償金を払い続けている。
【秘蔵写真】総額2億2000万円! 札束を抱えてニッコリ…「麻原彰晃」の欲にまみれた“表情”
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1995年3月20日に発生した地下鉄サリン事件から30年の節目を迎え、ふたたび注目されている「オウム真理教」。
後継団体のAlef(アレフ)には今なお若い信者たちが集まり続け、公安調査庁によれば、現在約1200人の集団を形成しているという。
「なぜ、あのオウムに……」
地下鉄サリン事件を機に次々に明らかになった凶悪事件を目の当たりにした人たちにとっては、ただ驚くしかないが、当時も同様のことが指摘されていた。
「なぜ、高学歴のエリートたちがあんな怪しげな宗教に入って犯罪を……」
これから語る彼もまたそう言われた者の一人であった。
東大に合格したが「自分の才能に限界を感じてしまった」
野田成人氏。
科学技術省、大蔵省、諜報省など……荒唐無稽といわれたオウムの「省庁制」。その一つ「車両省」の大臣に任命されていた教団の元幹部である。
地方の中高一貫校から現役で東京大学に合格し、理論物理を究めようとしていた文字通りの秀才であった。
野田氏が振り返る。
「(教養学部の)理科一類の成績はトップクラスだったので希望通りの物理学科に進めました。でも専門の世界に足を踏み入れたとたん、先人、先輩たちの優秀さを目の当たりにし、自分の才能に限界を感じてしまったのです」
命じられたのは「核兵器」の開発
学問の壁にぶち当たり、時に自殺を考えるほど思い詰めて精神世界に傾倒しかけたところ、ふと書店で手にしてしまったのが麻原彰晃の著作であった。
麻原が説く人類救済と修行による能力開発。多くの信者がそうであったように、彼もまた、オウムの表向きの教義に引かれ、出家に至る道をたどった。せっかく入った東大も、親を説得して退学した。
しかし、ここから先は運命の巡り合わせとしか言いようがない。麻原が教団の武装化に際しこの物理の秀才に命じたのは、「核兵器」や、米軍ですら断念した「レールガン」の開発であった。もしこれが「化学兵器」だったら別の結末を迎えていたであろう。結果として重大事件での逮捕を免れ、数少ない残された幹部の一人として野田氏は「事件後」の教団運営の中心人物となっていった。
「教団の再建を目指し、(山梨県の旧)上九一色村などから追い出された出家信者を呼び戻したのは私です。彼らを住まわせるために競売物件の落札など、不動産取得のノウハウを得たのもこの頃です」