(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)
「コメを買ったことがない」と発言した江藤拓前農林水産大臣が事実上更迭され、小泉進次郎新大臣が就任すると、政府の備蓄米をこれまでの一般競争入札に代わり、随意契約で小売業者に売り渡す政策を打ち出した。
【写真】コメ増産とは言うが…。地方には耕作放棄地も増えている
随意契約で政府が決める売り渡し価格は玄米60キログラムあたり1万700円(税抜き)とし、店頭価格は5キログラムあたり2000円(税抜き)になるとされる。全国のスーパーで販売されるコメの平均価格は、3月の第1週から5キログラムあたり4000円を上回って推移しているから、その半値になる。
しかし、それで高騰するコメの価格が全体的に下がるのだろうか。
■ 備蓄米放出の後に必要なことは…
一時的に破格の2000円のコメが出回れば、全国の販売平均価格は下がるだろう。しかし、これに連動して高値の続く銘柄米やブレンド米も下落するとは限らない。備蓄米の放出には制限を設けない方針だが、残る30万トンの備蓄米がなくなってしまえば終わる。安いコメの買い溜めの懸念だってある。
これが対症療法であるのだとすれば、やはりその先にある根本的な農政改革が必要となる。政府は1971年から2017年まで減反政策をとってきた。2018年以降も補助金を使って事実上の減反を続けてきた。これがいまになってコメの需給バランスを崩し、コメ不足と高騰につながっているという指摘だ。小泉大臣も「減反はやめる」と発言している。石破茂首相も、5月21日の国民民主党の玉木雄一郎代表との党首討論で、「増産の方向に舵を切れというご主張は、私は同意をいたします」と答えている。
だが、そう簡単にコメの増産などできるのだろうか。
そこでまずは、80年前の終戦から今日に至るコメの歴史について振り返ってみたい。
■ 農地解放で激増した小規模農家、それを支えるために生まれた農協
日本には敗戦と同時に進駐軍がやってきて、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領統治がはじまり、日本の構造を大きく変えていった。そのひとつに「農地解放」がある。
それまでの地主と小作人の制度を廃止し、地主が所有していた土地を小作人や耕作意欲のある人に配分するものだった。農家は自分の土地を耕すべきとする自作農主義に基づく。ただし、この農地解放はGHQが主導で行った改革ではなく、日本側から働きかけて実現した唯一と言える戦後政策だった。戦前から地主制度を問題視していた政府関係者がいたことも事実だった。
戦地からの復員や、海外移住からの引き上げ、それに焼け出された都市部からの流入によって、農村部の人口は膨らみ、分配される農地は新たな就労機会ともなった。
ただ、農業をはじめるにしても、どうしていいかわからない。資材もない。そこで自作農を援助、保護する目的で誕生したのが農業協同組合(現JA農協)だった。
戦中、戦後の食糧不足に喘いでいた日本は増産体制に入り、自給率を伸ばしていく。1960年には79%(カロリーベース)のピークに達する。
ところが、時代が進むにつれて、日本は工業化していく。世界的にも工業生産性が優位となった。ここに経済的な「格差」が生じてくる。地主の農地を分けて自作農が増えたことは、言い換えれば、大規模集約経営から零細経営農家を増やしたことになる。すでに戦後復興から高度経済成長にさしかかった1950年代後半には農業の相対的優位性は崩れ、工場勤めなど都市部の勤労世帯が農業世帯の収入を上回るようになった。