2001年6月8日、大阪教育大学附属池田小学校で児童殺傷事件(附属池田小事件)が発生。宅間守元死刑囚が逮捕後3日間、精神障害を装う「演技」を続けていたことが、ジャーナリストによる供述調書分析で明らかになりました。
事件概要と社会の反応
2001年6月8日午前、宅間守は大阪教育大学附属池田小学校に侵入し、出刃包丁で児童8人を殺害、15人に重軽傷を負わせました。社会に筆舌に尽くしがたい衝撃を与えたこの凄惨な事件後、宅間は逮捕後の不遜な態度や要領を得ない発言で、世間の強い怒りを買いました。彼は第一審で死刑判決を受けた後、自ら控訴を取り下げて刑が確定し、2004年9月に死刑が執行されています。
附属池田小事件後、校門前に手向けられた多くの献花
供述調書が示す逮捕直後の「偽装」
ジャーナリストの今西憲之氏は、附属池田小事件に関する膨大な刑事記録、特に50綴り以上にも及ぶ宅間守の供述調書のコピーを入手し、詳細に分析しました。A4サイズで合計1200枚を超えるこれらの書類は、逮捕後の宅間の言動を克明に記録しています。その記録からは、宅間が逮捕された直後からの丸3日間、一貫して精神状態が不安定であるかのように振る舞っていた実態が浮かび上がりました。
これは、刑事責任能力の有無を争うため、計画的に行われた「演技」であった可能性が高いと分析されています。
演技を見抜いた捜査の裏側
しかし、当時の捜査官は比較的早い段階で宅間の演技を見破ったといいます。そのきっかけの一つは、宅間が世間からの激しい非難や怒りに対して示した不自然な無関心さでした。社会の反応に対する宅間の計算高さが露呈し、かえって不自然に映ったと調書は伝えています。
ベテラン捜査員が語る「怪物」
当時宅間守の捜査に関わった大阪府警のベテラン捜査員は、彼を振り返り「あれは怪物やったわ」と表現しました。この言葉は、宅間という人物の異常性や、捜査にあたった側が直面した困難さを物語っています。
大量の供述調書は、単に事件の事実関係だけでなく、宅間守という特異な人物像と、彼と対峙した捜査当局の苦闘を後世に伝える貴重な資料となっています。
供述調書分析により、宅間守元死刑囚が逮捕直後に精神障害を装っていたという新たな事実が判明し、附属池田小事件における犯人像や捜査過程に新たな光を当てています。これらの記録は、凄惨な事件の記憶と共に、犯罪捜査や犯人の心理に関する教訓として今後も重要視されるべきでしょう。