ブライアン・ウィルソン氏死去:ビーチ・ボーイズを率いた音楽界の巨星、享年82

ハーモニーと陽光にあふれたサウンドでカリフォルニア・ロックを象徴し、ポップ音楽史に多大な足跡を残したビーチ・ボーイズのリーダー、ブライアン・ウィルソン氏が米国時間6月11日(日本時間12日)に亡くなりました。享年82。ご家族が公式サイトで発表しました。「愛する父、ブライアン・ウィルソンが亡くなったことをお知らせするのは、胸が張り裂ける思いです。今は言葉が見つかりません」と、ご家族はSNSに投稿した声明で述べ、深い悲しみの中にあることを明かしました。同時に、世界中のファンが悲しみを共有していることへの感謝も伝えています。ご家族は死因を明らかにしていないものの、ウィルソン氏が2024年2月に認知症と闘っていることが公表されていました。

ビーチ・ボーイズ黄金期のブライアン・ウィルソン氏のポートレートビーチ・ボーイズ黄金期のブライアン・ウィルソン氏のポートレート

ブライアン・ウィルソン氏の遺産には、ビーチ・ボーイズとして発表した数多くのヒット・シングルが含まれています。「I Get Around」「Help Me, Rhonda」「Good Vibrations」の3曲は全米チャートで1位を獲得しました。1960年代、ビーチ・ボーイズはアメリカで最も成功したバンドの一つであり、ビートルズと並び世界的な人気を誇りました。また、ウィルソン氏はアルバム『Pet Sounds』などで、豪奢でオーケストラ的なプロダクション手法を導入し、ロックンロールにおけるサウンドの可能性を大きく拡張。レコーディング・スタジオそのものを一つの楽器として機能させる革新的な手法を示しました。

生涯と音楽的功績

ブライアン・ウィルソン氏は1942年6月20日、カリフォルニア州ホーソーンで生まれました。幼い頃から音楽に没頭し、弟たちにハーモニーの基礎を教えました。父マリー氏は作曲家を目指していましたが、非常に専制的な人物であり、ウィルソン氏は自伝の中で「父は私たちに心理的・肉体的な虐待を加えた」と回想しています。

1961年、ウィルソン氏は弟のデニス、カール、いとこのマイク・ラヴ、友人アル・ジャーディンと共にビーチ・ボーイズを結成しました。キャピトル・レコードと契約後、「Surfin’ U.S.A.」「Surfer Girl」「Be True to Your School」「Fun, Fun, Fun」といったヒット曲を次々と生み出し、明るく健康的なカリフォルニアの青春像を鮮やかに描きました。一方で、「In My Room」のような楽曲では、内省的な孤独や切なさも表現し、音楽性の幅広さを見せました。

ウィルソン氏は作曲家としてさらなる芸術的な高みを目指しました。「I Get Around」では、重厚なサーフギターのサウンドにファルセットのボーカルを巧みに組み合わせ、サウンドを深化させました。しかし、創作活動への集中とツアー生活のプレッシャーから、1964年のヨーロッパツアー中に神経衰弱に陥ってしまいます。これを機にウィルソン氏はツアーから離れ、スタジオでの楽曲制作に専念するようになります。

このスタジオ作業の成果として生まれたのが、ロック史における金字塔とされる名盤『Pet Sounds』です。ビートルズのアルバム『Rubber Soul』に触発されて制作されたこのアルバムは、その革新的なサウンドプロダクションとコンセプトにおいて、ビートルズの『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』における実験精神を後押ししたと言われており、後世の無数のミュージシャンに絶大な影響を与えました。特に、アルバムに収録された「God Only Knows」は、ポール・マッカートニーによって「史上最高の曲」と称賛されるなど、世代を超えて愛されています。

1966年には、シングル「Good Vibrations」を発表。テルミンといった珍しい楽器の使用や、重層的なボーカルの重ね合わせを駆使したこの楽曲は、制作に6ヶ月もの時間を費やし、当時の金額で1万6000ドルという破格の費用がかけられました。このシングルは、ブライアン・ウィルソン氏の音楽的探求の頂点の一つとなりました。

「Good Vibrations」の成功後、ウィルソン氏はさらなる音楽的革新を目指し、アルバム『Smile』の制作に取りかかりました。彼は親しい友人たちに、このプロジェクトを「神へのティーンエイジャー交響曲」と呼んでいました。作詞家のヴァン・ダイク・パークスと共に、従来のポピュラー音楽の枠を超えた、精緻に構成された音楽組曲を作り上げようとしましたが、制作セッションは次第に難航します。バンドメンバー間の不和やウィルソン氏自身の精神的な負担が増大した結果、『Smile』は完成を見ないまま「幻の名盤」として伝説となりました。その後、ウィルソン氏は長期間にわたりベルエアの自宅に引きこもる生活を送ることになりますが、2004年についに『Smile』を再構成し完成させ、音楽批評家から高い評価を受けました。

後年の健康状態と家族の声明

2024年2月には、長年にわたりウィルソン氏のマネージャーを務め、二人目の妻でもあったメリンダ氏が亡くなった数週間後、ご家族はウィルソン氏が認知症を患っていることを公表しました。継続的なケアが必要となったため、後見制度の申請が行われることとなりました。当時、ご家族は声明の中で「家庭環境が大きく変わることのないよう最大限配慮し、ブライアンと同居する子どもたちもこれまで通り適切なケアを受けながら同じ家で暮らせるようにします。ブライアンは引き続き家族や友人たちとの時間を楽しみ、現在進行中のプロジェクトや希望する活動にも取り組めるでしょう」と述べており、可能な限り平穏な生活を維持する意向を示していました。

ビーチ・ボーイズを率い、革新的なサウンドで音楽界に革命をもたらしたブライアン・ウィルソン氏の訃報は、世界中のファンや関係者に深い悲しみをもたらしています。彼の生み出した音楽は、これからも多くの人々に愛され、語り継がれていくことでしょう。