「もっと子どもに向き合いたい」。多くの教員が抱くこの切実な願いは、膨大な校務や事務作業に追われる日々の中で遠のいていく。公立中学校の理科教員だった水野孝哉氏は、教育現場の構造的な問題に直面し、内部からの改革に限界を感じていた。その経験から、彼は教室の外から教員を支援する新たな道を歩み始める。水野氏が立ち上げたのは、教員の知見を共有するプラットフォーム「せんせい市場」だ。これは、多忙や孤立に苦しむ教育現場に一筋の光をもたらし、授業をより豊かにするための挑戦である。元教員である水野氏が、なぜ現場を離れ、この取り組みを始めたのか、その背景に迫る。
元中学校教員・水野孝哉氏、教育現場の多忙化問題とその経験について語る
教員を志した原点と現場での充実感
水野氏が教員の道を志したのは、小学6年生の頃に遡る。家業で忙しく、不在がちだった両親に代わり、寄り添ってくれた理科の教員の存在が大きかった。「誰かの人生にプラスの影響を与えられる仕事はいいな」という憧れが、彼の原点となった。大学卒業後、愛知県の公立中学校で理科教員としてキャリアをスタートさせた水野氏は、授業、進路指導、部活動、行事運営など、多岐にわたる業務に奔走する日々を送った。多忙ではあったものの、生徒との関わりや授業の準備にやりがいを感じ、充実した時間を過ごしていたという。教材研究に没頭し、納得のいく授業ができた時の生徒たちの楽しそうな反応や、理解した瞬間の表情は、まさに教員としての喜びだったと振り返る。
生徒と向き合いたい思いとの葛藤
しかし、教員生活を続けるうちに、生徒と向き合いたいという本来の思いと、膨大な校務に時間を奪われる現実との間に、少しずつ違和感が積み重なっていった。業務は深夜に及び、帰宅後も教材作成や成績処理に追われ、休日を返上しても仕事が終わらない。このような日々が繰り返される中で、「なぜこれほどまでに忙しくなるのか」という疑問が水野氏の頭をもたげるようになる。「子どもたちのために時間を使いたいのに、それができない」。本来であれば生徒のために使うべき時間が、不要と感じられる雑務に奪われていくことへのもどかしさは増すばかりだった。この頃から、学校が抱える構造的な問題の解決策はないのか、と深く考えるようになったという。
一人ではどうにもならない教育現場の現実
当時の水野氏は、仕事に全精力を注げる環境にあったにもかかわらず、準備不足への罪悪感や業務の飽和感に押しつぶされそうになる経験をした。この出来事を通じて、教育現場には教員一人ひとりの努力だけでは解決できない根深い課題があることを痛感する。とりわけ深刻だと感じたのは、長時間働ける教員と、子育てや介護などで定時退勤せざるを得ない教員との間に生じる壁だった。定時で帰る教員が周囲から「頑張りが足りない」と見られがちな状況に加え、生徒が無邪気に授業の質の差を口にすることで、劣等感を抱いたり、やりがいを失ったりするケースも少なくなかった。こうした状況は、教員のモチベーション低下を招く大きな要因となっていたのである。教員の負担を軽減し、業務を分担できる仕組みや余白が現場には不足していた。学校内部からの変革を試みるには、個々の教員の力には限界があることを悟った水野氏の中で、「外から教育を変える」という選択肢が現実味を帯び始めた。
教員向けプラットフォーム「せんせい市場」で共有されている指導案の例
結論:外部からの変革という選択肢
教育現場の多忙化は、教員の情熱や専門性を削ぎ、結果として生徒に十分な時間を割けなくなるという深刻な問題を引き起こしている。水野孝哉氏の経験は、この問題が個人の努力や能力の問題ではなく、学校という組織が抱える構造的な課題であることを浮き彫りにする。彼が現場を離れ、教員間の知識やリソース共有を目的とした「せんせい市場」というプラットフォームの立ち上げに至った背景には、内部からの改革の難しさと、外部からの支援こそが教育現場を変える鍵となるという強い思いがある。この挑戦は、多忙に苦しむ全国の教員にとって、新たな可能性と希望を示すものとなるだろう。
Source: 東洋経済 education × ICT