東京メトロ東西線 なぜ「通勤地獄」と呼ばれる混雑が続くのか

東京メトロ東西線は、首都圏でも有数の混雑路線として知られています。コロナ禍前の2019年度には、ピーク時の混雑率が199%に達し、定員のほぼ2倍の乗客が乗車していました。2023年度は148%に緩和されたものの、その混雑ぶりは依然として深刻です。多くの利用者が日々この東京メトロ東西線の混雑に悩まされています。

東京メトロ東西線の混雑するホームと車内の様子。通勤時間帯の深刻な状況を示している。東京メトロ東西線の混雑するホームと車内の様子。通勤時間帯の深刻な状況を示している。

東西線の現状と混雑の実態

東西線の特徴は、特定の時間帯だけでなく、ほとんどの時間帯で混雑が激しい点にあります。比較的空いているのは中野から高田馬場、および直通運転するJR中央線(各駅停車)の一部区間ですが、高田馬場からは乗客が急増します。特に大学がある早稲田駅では乗降が多く、そこから都心方面に向かうにつれて座席を見つけるのは極めて困難になります。飯田橋、九段下を経て、大手町からはさらに混雑度が増し、この状況が東陽町から千葉県の浦安駅あたりまで続く傾向にあります。

東西線は、金融街である大手町を境に西側と東側に大別できますが、比較的距離の短い西側に比べ、東側区間の方が圧倒的に利用者が多く、混雑も深刻です。場合によっては、終点まで立ちっぱなしでの移動を強いられることも少なくありません。では、なぜ東西線はこれほどまでに利用者で溢れかえり、深刻な混雑が常態化しているのでしょうか。

なぜ東西線はこれほど混雑するのか

東西線の混雑は、歴史的背景と都市構造の変化に深く根差しています。

歴史的背景と沿線の発展

東西線沿線はかつて、中小工場などが集まる地域でした。1923年の関東大震災後、被害の大きかった「下町」エリアから、より良い住環境を求めて郊外、特に東急沿線のような西側への移住が進み、東京は西側中心に発展しました。戦後の復興期と高度経済成長期を経て、東西線が整備されました。都心へのアクセスが良いにもかかわらず、当時の沿線は都心部に比べて不動産価格が比較的安価だったため、住宅地として急速に発展しました。これにより、多くの人々が東西線沿線に住むようになり、通勤や通学で東西線を利用する利用者が年々増加していったのです。

他路線との関連と利用者層

加えて、東西線は混雑緩和が喫緊の課題だった総武本線(現在の総武線快速・各駅停車)の混雑緩和を図る目的も兼ねて建設・延伸されました。このため、特に千葉方面からの利用者を大量に受け入れる構造となりました。沿線人口の増加に加え、都心部における東西線利用者の増加も相まって、路線全体の混雑に拍車がかかっています。

結論

東京メトロ東西線の深刻な混雑は、関東大震災後の東京の都市構造の変化、戦後復興と高度経済成長による沿線の宅地開発、都心へのアクセスの良さ、そして総武本線の混雑緩和という歴史的・社会的背景が複合的に影響し合った結果と言えます。これらの要因が、東西線沿線および千葉方面からの大規模な利用者を呼び込み、現在の「通勤地獄」とも呼ばれる状況を生み出しているのです。

参考文献:
Yahoo!ニュース (ZDNet Japan) – https://news.yahoo.co.jp/articles/8f4ea12c5e2799a391eb85893fce32388af2b59b