治安の劣悪なアフガニスタンで長年、復興支援に携わってきた日本人医師、中村哲さんが現地で銃撃され、死亡した。
用水施設の工事現場に向かう中村さんの車が襲われた。運転手や警護のアフガン人5人も犠牲になった。計画的で残忍なテロであり、絶対に許すことはできない。
中村さんは医師の枠にとどまらず、自ら必要と判断して灌漑(かんがい)事業を進め、現地でも高い評価を受けた。アフガンに生涯を捧(ささ)げたといえる。哀悼の意を表したい。
同時に痛感させられるのは、アフガンの国造りのあまりの険しさだ。それでも成し遂げるという決意を新たにする必要がある。
中村さんは1984年、パキスタンのアフガン国境で医療活動を始め、流入する難民らの診療にもあたった。91年にはアフガンに診療所を開設した。
2000年に干魃(かんばつ)が深刻化し、水不足で子供たちの栄養失調や感染症が急増すると、何より清潔な水が重要とみて、井戸を掘り、用水路を造る作業を始めた。
この柔軟な発想と果敢な行動力は、長年アフガンの住民と接し、土地や気候をつぶさに見てきたたまものだろう。灌漑事業は現地の雇用増にもつながったという。
日本は政府、民間の双方で世界各地でさまざまな支援を行っている。中村さんの経験を今後の国際貢献に生かさねばならない。
国際社会にとって、アフガンの国造りが重要なのは、このまま放置すれば、再び「テロの温床」と化す危険があるからだ。
アフガンは01年の米中枢同時テロの犯行拠点だった。同年のアフガン戦争後、治安はおもに、米軍など外国部隊が担ってきたが、状況は悪化する傾向にある。
いまのアフガンにはなお、米軍など外国部隊の存在が不可欠である。そうでなくなるには、アフガンの政府、軍が自立し、復興が成り、住民が極度の貧困に悩まされなくなる必要がある。
そのためにも、中村さんのような人々の支援活動は貴重だ。テロで支援が後退することがあってはならない。中村さんの意志を繋(つな)ぐべきである。彼らの安全確保に一層力を入れてもらいたい。
アフガンのガニ大統領は関係当局に銃撃犯の逮捕を命じた。悲劇を繰り返さないためにも日本政府はアフガン政府と協力して真相を究明しなければならない。