米オハイオ州在住の夫婦が、30年以上にわたり凍結保存されていた受精卵(胚)を用いて妊娠し、健康な男の子を出産したと報じられました。この出来事は、出生に至った凍結胚としては世界最長の保存期間を記録し、生命科学の進歩と、子を望む家族にとっての新たな選択肢を浮き彫りにしています。
世界最長保存胚の誕生
このたび、オハイオ州のリンジー・ピアースさん(35)と夫ティムさん(34)のもとに、2024年7月30日、タディアス・ダニエル・ピアースくんが誕生しました。リンジーさんは、学術誌『MITテクノロジーレビュー』に対し、家族で「まるでSF映画のようだ」と語り合っていると明かしています。今回使用された凍結胚は、出生に至ったものとしてはこれまでの記録を更新するものです。これまでの最長記録は、2022年に米オレゴン州で誕生した双子で、彼らは1992年に凍結された胚から生まれました。この新記録は、生殖医療における驚くべき進歩を示しています。
7年間の不妊治療と胚の選択
ピアース夫妻は、7年間にわたり子を授かるための努力を続けてきました。その末に、凍結された受精卵を用いる「胚養子縁組」という選択肢を決断しました。今回タディアスくんの誕生につながった胚は、リンダ・アーチャードさん(62)が1994年に、当時の夫と体外受精(IVF)治療で作成したものです。アーチャードさんは当時4つの胚を作成し、そのうちの1つは現在30歳になる娘さんの誕生につながりました。残りの3つの胚は、その後も冷凍保存され続けていました。夫との離婚後も、アーチャードさんはこれらの胚の処分や研究目的での提供を望まず、匿名で他の家族へ譲渡することを考えていました。彼女は、この胚から誕生する赤ちゃんが自身の娘と血縁関係を持つため、その誕生に関わることが重要だと考えていたといいます。
キリスト教系団体による「胚養子縁組」プログラム
胚の保管料として年間数千ドルを支払ってきたアーチャードさんは、最終的にキリスト教系の胚養子縁組機関「ナイトライト・クリスチャン・アダプションズ」が提供する「スノーフレークス」というプログラムにたどり着きました。このような機関の多くは、自分たちの活動を「人命を救う取り組み」であると考えています。このユニークなプログラムでは、胚のドナーが養子縁組先のカップルを宗教、人種、国籍などの希望に基づいて選ぶことが可能です。アーチャードさんはこの制度を利用し、『MITテクノロジーレビュー』によると、生まれてくる子供が「米国外に行くこと」を望まなかったため、米国内に住む白人キリスト教徒の既婚カップルを希望しました。その結果、最終的にピアース夫妻とマッチングしました。
凍結胚の顕微鏡写真:長期保存後の生命の可能性を示す
リンジーさんへの胚の移植は、テネシー州の体外受精クリニック「リジョイス・ファーティリティー」で行われました。同クリニックは、受け取った胚は年齢や状態に関わらず全て移植するという方針を掲げていると述べています。リンジーさんは、自身と夫は「記録更新」のためではなく、純粋に「赤ちゃんが欲しかった」のだと語っています。
親となる決意と命のつながり
タディアスくんの誕生は、単なる医療記録の更新にとどまらず、親になることを切望する夫婦の揺るぎない決意と、生命の尊厳、そして倫理的な側面が複雑に絡み合う現代社会の縮図とも言えるでしょう。アーチャードさんはまだ赤ちゃんに直接会っていませんが、『MITテクノロジーレビュー』に対し、すでに自分の娘と似ているところがあると語っており、血のつながりの不思議さと、新たな命への期待が伺えます。この出来事は、凍結胚の長期保存がもたらす可能性と、それが家族の形成に与える深い影響について、改めて考えるきっかけを与えてくれます。
参考文献:
- BBC News (英語記事 ‘Like a sci-fi movie’: US baby born from 30-year-old frozen embryo breaks record)
- MITテクノロジーレビュー (引用元記事)