日ソ戦争と現代の紛争:占領下の民間人虐殺が示す普遍性

第二次世界大戦末期の日ソ戦争は、現代の国際情勢、特にロシアとウクライナの関係を深く理解するための鍵となります。歴史家・麻田雅文氏と軍事評論家・小泉悠氏の対談から、占領下における民間人への残虐行為という普遍的なテーマに焦点を当て、その歴史的教訓を探ります。

満洲とブチャ:占領の残虐性と認識の乖離

日ソ開戦時、満洲ではソ連兵による日本人民間人への略奪や暴行が頻発し、深い憎しみの記憶として残りました。
1945年、満洲ハルビン市内を行進するソ連兵、日ソ戦争後の占領状況を示す1945年、満洲ハルビン市内を行進するソ連兵、日ソ戦争後の占領状況を示す軍事評論家・小泉悠氏は、ソ連兵の占領と日本のGHQの占領は性質が大きく異なると指摘。麻田雅文氏も、世界の戦史においてソ連型占領がむしろ「スタンダード」であると述べます。小泉氏は、日本で「ウクライナは早く降伏すべきだ」という意見が見られることに対し、それがGHQ型の比較的穏健な占領を想定している可能性を指摘し、現実のウクライナにおける占領は「遥かに過酷」であると警告しました。麻田氏は、占領の残虐性を論じる上で、ソ連兵の行為だけでなく、過去に大陸で行われた日本軍自身の残虐行為もまた、決して引けを取らなかった点を強調します。
ブチャでの民間人虐殺現場、ウクライナ戦争における人道犯罪の象徴ブチャでの民間人虐殺現場、ウクライナ戦争における人道犯罪の象徴

総力戦がもたらす暴力と指導者の責任

日清・日露戦争の頃には捕虜を丁重に扱ったとされる日本軍が、太平洋戦争において残虐性を際立たせた理由について、麻田氏は興味深い分析を展開します。それは、貴族が主導する18世紀的な限定的な戦争から、国民が一丸となって戦う「総力戦」へと戦争の性質が変化した過程で、敵への「憎しみの物語」が深く植え付けられ、暴力として現れた可能性です。また、日ソ戦争におけるソ連兵の略奪には、士気の低下を補う目的で許されたという証言も存在します。このような暴虐行為が、指導者によって積極的に止められなかった構図は、ヨシフ・スターリンと現在のウラジーミル・プーチンに共通すると麻田氏は指摘します。小泉氏は、ウクライナ戦争やイスラエルのガザ空爆といった現代の紛争で目の当たりにする残虐な現実に触れ、「20世紀で終焉したと思っていた人類の進歩への希望が打ち砕かれる思いだ」と失望を表明。麻田氏もこれに同感し、戦争が人を人として見なくなる「悪魔化」をもたらすことへの警鐘を鳴らしました。

麻田氏と小泉氏の対談は、日ソ戦争が単なる過去の出来事ではなく、現代の紛争、特にウクライナ戦争における占領下の残虐行為と民間人虐殺の普遍性を示す歴史的教訓であることを浮き彫りにしました。GHQ型の占領が例外であることを認識し、歴史から学び、現在の国際社会が直面する人道問題への理解を深めることが不可欠です。

出典: Yahoo!ニュース (News Postseven)