加齢とともに脳が萎縮し、記憶力が低下することは、多くの人にとって避けられない変化とされています。しかし、「スーパーエイジャー」と呼ばれる一部の人々は、その常識に逆らい、驚くべき記憶力を生涯にわたって維持しています。彼らの脳がどのようにして衰えに抵抗し、30年以上前の記憶さえも鮮明に保つことができるのか、その秘密が最先端の研究によって解き明かされつつあります。高齢化が進む日本社会において、脳の健康維持は喫緊の課題であり、スーパーエイジャーに関する知見は、未来の認知症予防や治療に大きな希望をもたらすものです。
スーパーエイジャーとは?その特徴と行動様式
ノースウェスタン大学メスラム認知神経学・アルツハイマー病研究所のタマル・ゲフェン准教授が率いる「スーパーエイジング・プログラム」では、現在113人のスーパーエイジャーを対象に調査が行われています。このプログラムにおいてスーパーエイジャーと認定されるには、80歳以上でありながら、日常の出来事や過去の自分を思い出す「エピソード記憶」が、正常な認知能力を持つ50~60代の人々と同等か、それ以上であることが条件となります。
例えば、米シカゴ郊外に住むキャロル・シーグラーさんは、82歳で年代別の全米クロスワードパズル大会で優勝し、85歳の時には人気クイズ番組「ジェパディ!」のオーディションで好成績を収めるなど、その記憶力は群を抜いています。
スーパーエイジャーの行動様式には、いくつかの共通点が見られます。まず、彼らは非常に社交的であり、人とのつながりを大切にし、地域社会で活発に活動しているケースが多いとされています。これは、孤立が認知症発症のリスク因子であることから、社会的な活動が予防につながる可能性を示唆しています。また、多くのスーパーエイジャーに共通するのは、自律性や独立性の感覚です。彼らは自分で意思決定を行い、望み通りの生活を送っている傾向があります。
興味深いことに、健康的な行動の面では、スーパーエイジャーの間には多様性があります。心臓病や糖尿病を抱える人、積極的に運動しない人、同年代と変わらない食生活を送る人、あるいは毎晩ビールを飲むような人も存在し、必ずしも完璧なライフスタイルを送っているわけではありません。
脳の記憶中枢に見られる驚異的な違い
ゲフェン氏らの研究は、スーパーエイジャーの脳が持つユニークな特徴を明らかにしています。彼らが脳組織を提供したスーパーエイジャーの調査から、いくつかの重要な発見がありました。
帯状皮質の厚さとタウたんぱく質の少なさ
スーパーエイジャーの脳では、注意や動機づけ、認知的エンゲージメントを担う「帯状皮質」が、50~60代の人と比べても厚いことが示されています。また、脳の記憶中枢である「海馬」を調べたところ、アルツハイマー病の重要な兆候の一つであるタウたんぱく質のもつれが、同年代の「普通の」人々と比較して3分の1しかないことが判明しました。
強靭なコリン作動系と嗅内皮質ニューロンの秘密
アルツハイマー病で標的となる、日常生活で注意力を維持する「コリン作動系」の一次ニューロンも、スーパーエイジャーの脳ではその損傷が見られず、より強靭であると考えられています。
さらに驚くべきは、記憶と学習に不可欠で海馬に直接接続する「嗅内皮質」の細胞です。アルツハイマー病で最初に侵される脳領域の一つでもある嗅内皮質において、スーパーエイジャーは「大きく太く、無傷で美しい、巨大な嗅内皮質ニューロン」を持っていることが分かりました。特に情報伝達で最も重要な第2層のニューロンは、30代の若者よりも大きいという発見は、ニューロン自体の構造的完全性が記憶維持に深く関わっている可能性を示唆しています。
スーパーエイジャーの脳に見られる、拡大された嗅内皮質ニューロンの画像。これらのニューロンは記憶力維持に重要であり、同年代の他の人々に比べて著しく大きいことが研究で示されている。
研究者たちは現在、これらの特別なニューロンが生化学的にどのような特徴を持ち、なぜこれほど強靭なのかを特定しようとしています。
損傷・病気・ストレスへの脳の反応
スーパーエイジャーの脳は、損傷や病気、ストレスに対してどのように反応するのでしょうか。ゲフェン氏らは、彼らの脳の炎症系を詳細に調べています。アルツハイマー病をはじめとする多くの神経変性疾患では、炎症が一定の閾値を超えると細胞が失われる主要な原因となります。
活性化ミクログリアの抑制と免疫系の適応力
同年代の人々の脳と比較して、スーパーエイジャーの脳の高速道路とも言える「白質」では、脳に常在する免疫細胞である「活性化ミクログリア」が少ないことが明らかになりました。ミクログリアは脳内の病原体や破壊的なものに反応して活性化しますが、過剰に活性化すると炎症や損傷を引き起こすことがあります。
スーパーエイジャーの脳では活性化ミクログリアの水準が30代~50代の人々と同程度に低いことから、彼らの脳内には不要物や病気が少ないか、あるいはミクログリアが効率的に病気や毒素を除去した後、速やかに鎮静化する能力が高い可能性があります。これは、スーパーエイジャーの脳の免疫系が細胞レベルで高い強靭性と適応力を持っていることを示唆しており、非常に魅力的な研究仮説です。
遺伝的要素と未来への示唆
脳の強靭性が適切な遺伝子を持って生まれるかどうかの「運」によるものだとすれば、未来にどのような意味を持つのでしょうか。ゲフェン氏は、遺伝が単一の要素ではなく、内部環境と外部環境が遺伝子の「スイッチを入れる」こと、すなわち発現にどのように影響するか、エピジェネティックな側面が重要であると指摘します。
研究チームはすでに、長寿や老化、細胞修復、認知予備能に関わる候補遺伝子のリストを慎重に調査し始めています。アルツハイマー病に単一の解決策は存在しないという認識のもと、予防や治療のためには、多くの専門家チームが協力し、一人ひとりに合わせた「カクテル」のようなアプローチを開発する必要があると考えられています。これは時間がかかるでしょうが、実現は可能だと期待されています。
結論
スーパーエイジャーに関する研究は、加齢による記憶力低下や認知症は避けられないものではないという希望を与えてくれます。彼らの脳が持つ帯状皮質の厚さ、タウたんぱく質の少なさ、強靭なコリン作動系、そして大きく健康な嗅内皮質ニューロンといった特徴は、脳の健康と機能維持の鍵を握るものです。また、損傷や病気への適応力の高さ、特にミクログリアの抑制された活性化は、脳の免疫系が加齢の影響に抗するメカニズムを示唆しています。
これらの科学的発見は、認知症予防の新たな戦略開発や、個々人に最適化された介入法の実現に向けた重要な一歩となります。スーパーエイジャーの知見は、私たちが加齢と向き合い、より豊かで記憶鮮明な人生を送るための道筋を照らすものとなるでしょう。
参考資料
- Tamar Gefen, Northwestern University Mesulam Center for Cognitive Neurology and Alzheimer’s Disease: SuperAging Program.
- CNN Health: “What makes a ‘SuperAger’ brain different from other brains? It keeps its memory sharp into old age”. (参照元:news.yahoo.co.jp/articles/0da52c0b19ac2ef8371a0aff0dd581c167e6f906)
- Alzheimer’s & Dementia: The Journal of the Alzheimer’s Association.