劇場版『鬼滅の刃』無限城編:善逸VS獪岳戦の核心に迫る!因縁と成長、悲鳴嶼との関係を徹底考察

吾峠呼世晴原作の『鬼滅の刃』は、その壮大な世界観と魅力的なキャラクター、そして心を揺さぶるストーリーで世界中のファンを魅了し続けています。数々の歴史的な記録を打ち立て、公開初日からおよそ1ヶ月が経過したいまなお、その勢いの衰える様子がまったく見られない『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』は、多くの観客を劇場へと誘っています。

今回の「第一章」では、上弦の肆・鳴女が操る異空間「無限城」を舞台に、胡蝶しのぶ対童磨戦、我妻善逸対獪岳戦、そして竈門炭治郎・冨岡義勇対猗窩座戦の3つの激しい戦いが描かれます。本稿では、物語の中盤の山場ともいえる、我妻善逸と兄弟子・獪岳(かいがく)の因縁の対決に焦点を当て、その背景にある深い意味とキャラクターたちの心理、そして我妻善逸の著しい成長について徹底的に考察していきます。

※以下、原作および映画の『鬼滅の刃』のネタバレを含みます。両作を未読・未見の方はご注意ください。

劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来のメインビジュアル。我妻善逸と竈門炭治郎、冨岡義勇が描かれ、無限城での熾烈な戦いを予感させる。劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来のメインビジュアル。我妻善逸と竈門炭治郎、冨岡義勇が描かれ、無限城での熾烈な戦いを予感させる。

善逸にとって「負けられない戦い」の意味

我妻善逸は、主人公・竈門炭治郎と同期の鬼殺隊隊士であり、「無限城編」の時点では「丙」の階級に位置しています。「雷の呼吸」の使い手である彼は、その6つある型のうち、「壱ノ型」しか使うことができません。この限定された能力は、彼の内面に抱える不安や臆病さと相まって、初期の彼のキャラクターを形成する大きな要素となっていました。

一方の獪岳もまた、かつては「雷の呼吸」の使い手でした。彼の場合は、皮肉にも「壱ノ型」だけが使えないという善逸とは対照的な特性を持っていました。善逸にとっては兄弟子にあたる獪岳は、しかし、ある時、上弦の壱・黒死牟の誘惑と恐怖に屈し、鬼となってしまいます。

この衝撃的な事実を知った二人の師である桑島慈悟郎は、その責任を負い、自害の道を選びました。身寄りのない自分を育て、剣士としての道を授けてくれた桑島に心から感謝していた善逸は、鬼殺隊入隊後、初めて自身の「けじめ」として、自身のすべてをかけて戦わなければならない相手に直面することになるのです。覚悟を決めた善逸は、「やるべきこと、やらなくちゃいけないことが、はっきりしただけだ。(中略)これは絶対に俺がやらなきゃ駄目なんだ」と、その強い決意を語っています(原作・第136話より)。

獪岳と悲鳴嶼行冥:意外な「因縁」の深層

話はやや複雑になりますが、獪岳は善逸だけでなく、岩柱・悲鳴嶼行冥とも浅からぬ因縁を抱えています。かつて悲鳴嶼は、身寄りのない子供たちを寺で育てており、その中には獪岳も含まれていました。しかし、ある時、獪岳は金銭を盗んだことが露見し、寺を追い出されます(注:悲鳴嶼はこの事実を知りません)。そして夜道で鬼と遭遇した際、自らが助かるために、かつての仲間たちを裏切ってしまいます。

寺では悲劇的な惨劇が起こり、悲鳴嶼の人生も大きく変わることになります。ここで注目すべきは、なぜ獪岳がその後、桑島のもとに入門しようと考えたのかという点です。「生きていく」ことに異常なほどの執着を見せる獪岳であれば、死と隣り合わせの鬼殺隊入隊を目指す必要はなかったはずです。しかし、彼はあえて鬼狩りの道を選び、過酷な修行にも耐えようとしました。

そこには、やはり、かつて(自分を追い出した者たちではありますが)寺の子供たちを裏切ったことへの「贖罪」の気持ちと、彼なりの「正義」が存在したと考察できます。この善と悪の間で揺れ動く脆さこそが、獪岳というキャラクターに深みを与えていると言えるでしょう。『鬼滅の刃』では、猗窩座や堕姫・妓夫太郎のように、やむにやまれぬ理由で鬼になった者たちが描かれる一方で、童磨、魘夢、玉壺、半天狗のように、救いようのない悪も描かれています。獪岳はどちらかといえば後者に属するタイプのヴィランであると考えられますが、一点だけ異なるのは、彼が鬼になってもなお、正義の象徴である「剣」と「呼吸」を捨てなかった(捨てられなかった)ことかもしれません。これは、獪岳を鬼の道へと導いた黒死牟にも共通する側面です。

悲鳴嶼が獪岳戦に「参戦しなかった」理由とは?

ところで、悲鳴嶼は、鬼殺隊入隊後の獪岳の存在に気づいていたのでしょうか?原作ではこの点について明確な描写がないため、想像の域を出ませんが、おそらくは知っていたでしょう。同様に、獪岳の方も悲鳴嶼に気づいていたと考えられます。

となると、無限城内における各隊士と鬼たちの戦いの組み合わせには少々疑問が生じます。なぜなら、無限城での戦いは、鳴女によって、因縁のある者同士が鉢合わせするように操作されているからです。もしそうであれば、獪岳との戦いには、善逸だけでなく悲鳴嶼も参戦すべきだったのではないでしょうか。しかし、原作を読んだ方ならご存知の通り、悲鳴嶼が戦うことになる相手は黒死牟です(もちろん、黒死牟の誘いで獪岳が鬼になったことを思えば、まったく関係のない相手というわけではありませんが)。

ではなぜ、善逸のみが獪岳と戦うことになったのでしょうか。それは、善逸と獪岳が、「二人で一人」の「雷の呼吸の後継者」であったからに他なりません。つまり、自身の分身の罪は、自身の手で裁かなければならないという宿命が二人の間にはあったのです。それゆえ、善逸のみが、他の隊士たちとは異なり、鳴女の操作を離れ、自らの強い意志で敵と遭遇できたように見えるのかもしれません。

劇場版「鬼滅の刃」無限城編で、鬼となった兄弟子・獪岳と対峙し、怒りを露わにする我妻善逸。自身のすべてをかけて戦いに挑む姿。劇場版「鬼滅の刃」無限城編で、鬼となった兄弟子・獪岳と対峙し、怒りを露わにする我妻善逸。自身のすべてをかけて戦いに挑む姿。

我妻善逸:剣士としての「真の成長」

「雷の呼吸」の「壱ノ型」しか使えない善逸と、「壱ノ型」だけが使えない獪岳。師・桑島慈悟郎は、その対照的な二人を「雷の呼吸」の後継者にしようと考えていました。「二人で一人の柱」など、前代未聞の試みだったかもしれませんが、桑島は善逸と獪岳が力を合わせれば、きっと最強の「鳴柱」になれると信じていたのでしょう。

しかし、「自分だけが特別でないと気が済まない」(原作・17巻コラムページより)獪岳は、その事実を認められませんでした。無限城で凄絶な斬撃を繰り出しながら、獪岳は善逸にこう言い放ちます。「俺を正しく評価し、認める者は“善”!! 低く評価し、認めない者が“悪”だ!!」(原作・第145話より)この言葉からわかるのは、獪岳が自分のことを「特別」だと思い込んでいながら、実は常に他者の評価ばかりを気にしているという事実です。あるいは、常に自分を導いてくれる指導者を求めているという内面が垣間見えます。だからこそ、いつも泣き言ばかり言って頼りない弟弟子(善逸)が自分と同格だと評価された時、桑島に対する尊敬の念は消え失せ、逆に、圧倒的な力を見せつけ、「さらなる強さがほしいか」と誘ってきた黒死牟に、何かしらの「期待」を抱いたのかもしれません。これこそが、獪岳が鬼に堕ちた最大の理由であると推察されます。

いずれにせよ、善逸は、この先、獪岳の性根が変わることはないと悟りました。だからこそ、彼は自ら、桑島の教えにはなかった「漆ノ型」を編み出し、ずっと反りが合わず、心の底では尊敬もしていた兄弟子を討ったのです。無限列車や吉原・遊郭における実戦を経て、我妻善逸が剣の腕を上げていたのは間違いありませんが、彼が本当の意味で一人の剣士として、そして精神的に大きく成長したのは、この獪岳との決戦の時だったと言えるでしょう。

劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来:公開情報

『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』は全国で公開中です。

キャスト:
花江夏樹(竈門炭治郎役)、鬼頭明里(竈門禰豆子役)※禰は正しくはしめすへん、下野紘(我妻善逸役)、松岡禎丞(嘴平伊之助役)、上田麗奈(栗花落カナヲ役)、岡本信彦(不死川玄弥役)、櫻井孝宏(冨岡義勇役)、小西克幸(宇髄天元役)、河西健吾(時透無一郎役)、早見沙織(胡蝶しのぶ役)、花澤香菜(甘露寺蜜璃役)、鈴村健一(伊黒小芭内役)、関智一(不死川実弥役)、杉田智和(悲鳴嶼行冥役)、石田彰(猗窩座役)

スタッフ:
原作:吾峠呼世晴(集英社ジャンプ コミックス刊)
監督:外崎春雄
キャラクターデザイン・総作画監督:松島晃
脚本制作:ufotable
サブキャラクターデザイン:佐藤美幸、梶山庸子、菊池美花
プロップデザイン:小山将治
美術監督:矢中勝、樺澤侑里
美術監修:衛藤功二
撮影監督:寺尾優一
3D監督:西脇一樹
色彩設計:大前祐子
編集:神野学
音楽:梶浦由記、椎名豪
主題歌:Aimer「太陽が昇らない世界」(SACRA MUSIC / Sony Music Labels Inc.)・LiSA「残酷な夜に輝け」(SACRA MUSIC / Sony Music Labels Inc.)
総監督:近藤光
アニメーション制作:ufotable
配給:東宝・アニプレックス

©︎吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable
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