広島県出身の俳優、綾瀬はるかさんは、約20年にわたり戦争報道に関わってきました。戦後80年のこの夏、彼女は原爆開発の中心地アメリカへ。命を救うはずの医師がなぜ関わったのか、その足跡を辿り、知られざる警告に迫ります。
無視された医師の警告:原爆開発の知られざる真実
核兵器の現実を伝える写真展で、綾瀬はるかさんはジェームズ・ノーラン・ジュニア教授と出会いました。教授の祖父ジェームズ・フィンドリー・ノーラン医師は、産婦人科医でありながら原爆開発に関わった人物です。命を救うべき医師がなぜ破壊に関わったのか、その謎を探るため、綾瀬さんは原爆開発の拠点、アメリカ・ロスアラモスへ。
広島県出身の俳優・綾瀬はるかさんが、アメリカのロスアラモスで原爆開発の歴史を取材する様子
この町は、世界初の核実験が行われ、マンハッタン計画の科学者が集結しました。ノーラン医師は、彼らの医療を担うため妻子とロスアラモスへ移住し、穏やかな日々を送ります。しかし1945年、彼は原爆開発の放射線安全管理者という新たな任務を担いました。
任務後すぐに、ノーラン医師は原爆実験による放射線の危険性に気づき、周辺住民への安全対策が必須であるとの安全性報告書を陸軍のグローブス少将に提出。しかし、その警告は無視されました。これは「原爆開発中、ノーラン医師らが安全対策を懸念し幹部に伝えていた」という証言とも一致します。
ノーラン医師の事例は、命を守るべき医師が破壊の兵器開発に関与した倫理的葛藤と、科学者の重要な放射線警告が無視された現実を示唆します。これは原爆開発の深い悲劇を物語るものです。綾瀬はるかさんのこの取材は、戦後80年に、歴史の教訓と平和への道を深く考える貴重な機会となるでしょう。