櫻井よしこ氏「南京大虐殺はなかった」発言に広がる波紋と専門家の見解

今年、1945年8月6日の広島、9日の長崎への原爆投下、そして15日の終戦から80年を迎えます。広島市で開催された平和記念式典で、石破茂首相(68)は「今、被爆者の方々の平均年齢は86歳を超え、国民の多くは戦争を知らない世代となりました。この耐え難い経験と記憶を、決して風化させることなく、世代を超えて継承しなければならない」と語り、歴史の継承の重要性を強調しました。しかし、戦争経験者が減少する中で戦禍の記憶の風化が危惧される中、ジャーナリスト櫻井よしこ氏(79)の歴史認識に関する発言が大きな波紋を呼んでいます。

櫻井よしこ氏のコラム内容と「反日宣伝」論

8月4日付け「産経新聞」朝刊1面に掲載された櫻井よしこ氏のコラムは、「反日宣伝に手貸すのか」と題され、石破首相が戦後80年に関する個人メッセージを秋以降に出すとした報道に対し、「中国の反日宣伝に手を貸すことになる」と警鐘を鳴らしました。コラムでは、中国で7月25日から上映されている南京大虐殺をテーマにした映画『南京写真館』が公開後わずか4日間で5億元(約105億円)の興行収入を得たことに触れ、「反日感情はいや応なく過熱する」と指摘。さらに、31日に江蘇省蘇州で日本人の母親と子供が襲撃された事件を引き合いに出し、「早くも反日宣伝映画の影響が懸念されており、展望は暗い」と持論を展開しました。

櫻井よしこ氏、産経新聞コラムで南京大虐殺否定論を展開櫻井よしこ氏、産経新聞コラムで南京大虐殺否定論を展開

その上で櫻井氏は、「『南京大虐殺』はわが国の研究者らによってなかったことが証明済みだ。にもかかわらず中国は事実を曲げ日本への憎しみをかき立てる。怒りの渦の中で9月3日には『抗日戦争勝利』の大軍事パレードを迎え、日本の受難は終わらない」と記述しました。この「南京大虐殺」を否定する主張は、SNSを中心に大きな批判の対象となりました。

「南京事件」の歴史的背景と日本政府の公式見解

櫻井氏がコラムで言及した「南京大虐殺」は、「南京事件」とも呼ばれ、日中戦争中の1937年12月、日本軍が中国国民党政府の首都・南京を陥落させた際に、南京の都市部や農村部で中国兵捕虜や一般市民らを殺害し、略奪行為などを行ったとされる事件です。

犠牲者数については諸説あり、東京裁判では「20万人以上」、中国側の南京軍事法廷では「30万人以上」とされ、日本側の研究では「数万~20万人」などと推計されています。この犠牲者数の議論とは別に、日本政府は「南京事件」そのものを公式に認めています。外務省のホームページには、「日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています」と記載されており、殺害や略奪行為があった事実は否定していません。

専門家が断言する「論争の終焉」:笠原十九司氏の見解

櫻井氏が「『南京大虐殺』はわが国の研究者らによってなかったことが証明済み」と記した根拠について、期日までに回答は得られませんでした。そこで、今年7月30日に『南京事件 新版』(岩波書店)を上梓した、「南京事件」研究の第一人者である都留文科大学名誉教授の笠原十九司氏に話を聞きました。笠原氏は櫻井氏の主張に対し、「その論争はすでに終わっている」と断言します。

笠原氏は、「1970年代、80年代から続いてきた“南京事件論争”ですが、今はもう論争はないんです。2006年に安倍元首相が選出した『日中歴史共同研究』の北岡伸一東大名誉教授や筑波大学の波多野澄雄名誉教授が中心となって、政府間の正式な共同研究で『南京事件はあった』と結論を出しているわけです」と説明しました。さらに、「南京事件があったことは大前提として、日本側の委員は暴行が行われた原因を研究し、中国側は南京事件で日本軍が何をしたかの実態を研究しました。真っ当な研究者で南京事件そのものがなかったと主張している人はいませんよ」と、学術界での見解が確立していることを強調しました。

国際社会の視点と日本の歴史認識

中国では、日本軍が南京を占領した12月13日を「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」とし、毎年国家幹部も全員参加して追悼式を行っています。2015年には、南京事件に関する資料がユネスコの世界記憶遺産にも登録されました。これに対し日本政府は抗議し、ユネスコへの分担金・拠出金の停止や支払い保留をちらつかせて登録取消を要求しましたが、国際社会からの批判を受けて、最終的に分担金を拠出しました。

笠原氏は、「国際社会から見れば日本で横行している南京事件否定論は恥ずかしいことなのです」と述べ、一部で繰り返される歴史否定論が国際的な評価に与える影響に警鐘を鳴らしています。日本政府の公式見解や学術的な研究成果と異なる主張が広く報じられることは、日本の歴史認識に対する国際社会の信頼を揺るがしかねないという課題を浮き彫りにしています。

今回の櫻井よしこ氏の「南京大虐殺」否定発言は、終戦80年を前に、改めて日本の歴史認識と向き合うことの重要性を問いかけるものとなりました。確立された研究成果や政府の公式見解に基づいた正確な情報の発信は、国内外の信頼構築に不可欠であり、歴史の風化を防ぎ、真摯な歴史認識を次世代へと継承していくための重要な一歩となります。