職場の人間関係の悩み「苦手な人」との付き合い方:禅の教えが導く「ご縁」の力

「どうしても苦手なあの人と毎日顔を合わせるのがしんどい…」。職場でこのような状況に直面している方は少なくないでしょう。わかりやすく距離を置くのは簡単ですが、それでは相手もいい気はしないものです。こうした人間関係のストレスを和らげるヒントとして、禅の教えにある「ご縁」という考え方が非常に参考になります。

職場での人間関係のストレスに苦しむビジネスパーソン職場での人間関係のストレスに苦しむビジネスパーソン

仕事は選べても上司は選べない:世は「ご縁」で巡る

毎日顔を合わせる職場で、自分の苦手な人がいるというのは精神的につらいものです。できれば嫌な人とは一緒に働きたくない、誰もがそう感じるのは当然のことでしょう。

私自身も僧侶としての修行時代には、人間関係で苦労した記憶が多くあります。修行道場は特殊な場所で、学歴や職歴、年齢を問わず入門順に序列が決まる、体育会系のような厳しい上下関係が徹底されています。そのため、普通の学生生活を謳歌していた私自身も大変苦労しましたし、嫌味な先輩や苦手な先輩はたくさんいました。正直な話、「修行道場を出たら覚えていろよ!」と逆恨みをしていた時期さえあります。

仕事や職場は選べたとしても、直属の上司や部下を選ぶことはできません。これは社会で働く上で避けられない宿命とも言えるかもしれません。仏教では、人との出会いや別れ、そしてその繋がりである「ご縁」を大切に捉えます。もちろん、それが自分にとってプラスとなる、楽しく嬉しい出会いであれば、素直にそのご縁に感謝できることでしょう。

マイナスな出会いも「大切なご縁」と捉える仏教の智慧

しかし仏教の教えでは、自分にとってマイナスな出来事や、嫌なことをされたり、喜びを感じられない出会いであっても、それらも全て「大切なご縁」であると説いています。

奈良の薬師寺で管主を務められました高田好胤師の法話には、「逆縁の恩」という教えがあります。仏教におけるご縁には、「順縁」と「逆縁」の二つが存在します。順縁とは、お世話になった人や善くしてもらったことに対して、純粋に恩を感じること。一方、逆縁とは、たとえ嫌なことや悪いことをされた相手に対しても、それを恩として受け取り、感謝の気持ちを持つという、少し難しいご縁の考え方です。

逆境が道を開く:「逆縁の恩」が示す新たな視点

この「逆縁の恩」の考え方を具体的に示す逸話があります。ある時、武将に仕えていた一人の武士が、主人の履物を温めていました。主人が用事を終えてその履物を履こうとした際、その温かさに驚きます。主人は、武士がお尻に自分の履物を敷いて座っていたと誤解し、その履物の下駄で武士の眉間を叩きつけ、武士の額は割れてしまいました。

額に傷を負った武士は、武士として生き続けることができないと悟り、出家します。その後、彼は懸命に修行に励み、立派な僧侶として出世し、ついには修行僧を指導するほどの高名な老師となりました。

その老師の元に、昔自分の眉間を割った元主人が、何という偶然か、何も知らずに会いにやって来ました。近くに偉い和尚がいると聞き、教えを請いに来たわけです。すると、老師の眉間にある傷に気づいた元主人は尋ねます。「その傷はどうされたのですか。ぜひ昔の武勇伝などをお聞かせ願いたい」。

すると老師は答えます。「実は私は昔、若い頃のあなたに下駄で眉間を割られました。しかし、私はあなたを一切恨んではおりません。なぜなら、その出来事があったからこそ、私は仏教に出会い、これほど仏道に励むことができ、老師となることができたのです。ですから、私はあなたに心から感謝しています」。

この物語は、人生における困難な出会いや逆境が、時には私たちをより良い道へと導き、成長させてくれる「逆縁の恩」となる可能性を示唆しています。苦手な人との関係も、視点を変えることで新たな気づきや学びの機会と捉えることができるのです。

まとめ

職場の人間関係における「苦手な人」との関わりは、多くの人にとって深い悩みの種です。しかし、禅の「ご縁」という教えに触れることで、その捉え方が大きく変わる可能性があります。全ての出会いは「ご縁」であり、時には私たちに苦痛を与えるような「逆縁」でさえも、長い目で見れば感謝すべき「恩」となり得ます。

高田好胤師の「逆縁の恩」の教えや、眉間を割られた武士の物語が示すように、逆境が新たな道を開き、私たちを成長させることがあります。今日から、目の前の苦手な人との関係を、単なるストレス源ではなく、自己成長のための大切な「ご縁」と捉え直してみてはいかがでしょうか。そうすることで、心の平穏を取り戻し、より豊かな人間関係を築く一歩となるでしょう。

参考文献