【よみがえるトキワ荘】「聖地」の模索(5)商店街の“復活”に期待

[ad_1]



右奥へ続く「トキワ荘通り」。左の交番の近くに、以前ラーメン屋があったという=豊島区南長崎(鵜野光博撮影)

右奥へ続く「トキワ荘通り」。左の交番の近くに、以前ラーメン屋があったという=豊島区南長崎(鵜野光博撮影)
その他の写真を見る(1/2枚)

 「二叉(ふたまた)交番(警視庁目白署南長崎交番)の近くにラーメン屋があってね。僕らの仕事は昼夜逆だから、夜中の2時ごろになると、よく食べに行きましたよ」

 「トキワ荘」の住人が愛したラーメン屋は、「松葉」だけではなかったらしい。昭和33~36年にトキワ荘に住み、その後、代表作「マーガレットちゃん」の執筆や学習漫画の第一人者として活躍した、よこたとくおさん(83)は、かつての椎名町(現豊島区南長崎)の街並みを懐かしむ。

 この連載の第1部で触れたように、通称「トキワ荘通り」は漫画家たちが住んでいた昭和30年代、食料や衣類、雑貨・文具など、あらゆるお店があったにぎやかな商店街で、飲食店も夜遅くまで開いていた。その面影は今は薄い。

 「最終的にトキワ荘通りを一変させ、『シャッター通りがよみがえった』日本における第1号としてお手本になるという大きな夢、思いがあります」

 来年3月に開館するトキワ荘マンガミュージアムの検討会議で、豊島区の高野之夫区長はこう発言している(平成29年7月7日)。その後も「空き店舗に色んな形の漫画に関するお店を誘致することで、トキワ荘通りを復元したい」(30年2月21日)と述べ、今年10月には本紙の取材に「第2、第3のアニメの記念館を、大きくなくてもいいからトキワ荘通りに作りたい」と語っている。

 地元商店街によると、現時点では、ミュージアムができる南長崎花咲公園の入り口近くにある時計店が、古書などトキワ荘関連本を販売する店に生まれ変わり、さらにグッズや飲み物も取り扱う予定だ。ほかにも商店街の空き店舗などを利用し、ミュージアムの企画展と連動した展示やイベントが検討されているという。

 よこたさんは、ミュージアムについて「今は最初だけ騒がれて、すぐだめになってしまう時代だから」と先行きを心配する一方で、「みんなの記憶にトキワ荘が残ってくれればいい」と期待する。

 「とにかく、手塚(治虫)先生があそこに住まわれたのがすごいんです。寺田ヒロオ先生もいい漫画を描いていた」。トキワ荘入居前は赤塚不二夫と共同生活で漫画を描き、引っ越し後は石森(石ノ森)章太郎らの才能も目の当たりにした。それから約60年。「みんなが生きている頃が楽しかった」とつぶやき、「(ミュージアムの)完成は楽しみ」とほほ笑む。

 日本で漫画文化を大きく羽ばたかせた人々の記憶を後世に残せるか。ミュージアムだけでなく、地域にもそれが問われている。=(6)へ続く

[ad_2]

Source link