今年7月に行われた参議院選挙では、各メディアが「ファクトチェック」に力を入れました。しかし、東京新聞の元編集局長である菅沼堅吾氏は、その取り組みが十分な成果を示したとは言い難いとしながらも、新聞をはじめとするマスメディアの存在は決して不要ではないと強調しています。現代の「SNS選挙元年」とも称される情報過多の時代において、信頼できる情報源としてのマスメディアの役割と、偽情報対策の限界について深く掘り下げていきます。
報道機関が直面した「ファクトチェック」の壁
夏の参院選を終え、敗れた政党は総括に追われ、新聞などのマスメディアはそれを熱心に報じています。しかし、総括すべき課題が山積しているのは、マスメディア、特に新聞も同様です。参院選前に多くの新聞社が選挙報道を見直し、特にインターネット上の偽情報や誤情報の氾濫を食い止めるため、「ファクトチェック」に本格的に取り組む姿勢を見せました。
参院選最終日に支持者に語りかける参政党の神谷宗幣代表
その結果、マスメディアはファクトチェックの「限界」を知ることになったのです。この状況は、新聞が「オワコン(終わったコンテンツ)」としてその存在意義を失いつつあるのか、という問いを投げかけています。
「SNS選挙元年」の衝撃とメディアへの不信感
新聞などのマスメディアがその存在感の低下に危機感を抱き始めたのは、2024年の東京都知事選、衆院選、兵庫県知事選を経てのことでした。これらの選挙では、SNS上での言説が想定以上に選挙結果に大きな影響を及ぼし、これらを「SNS選挙元年」と呼ぶようになりました。この背景には、マスメディアに対して「本当のことを報じていない」「何かを隠している」といった批判、不信感、そして反発が根強く存在することを、報道機関自身が自覚しています。
公正さを巡る葛藤:東京新聞の経験から
東京新聞は「空気を読まない」ことをモットーとしてきましたが、筆者自身も編集局長時代(2011年6月から6年間)、選挙期間中には普段以上に特定の政党や候補者を批判することに慎重になっていたと述懐しています。公職選挙法上、報道や論評が結果として特定の政党や候補者に利益や不利益をもたらしても問題はありません。しかし、「選挙の公正」を過度に意識した結果、このような慎重な姿勢を取ることになったのです。一つひとつの記事の影響にとらわれず、紙面全体で公正さを保つ「ジグザグ中立」を標榜していましたが、読者にとっては歯がゆく感じられたのかもしれません。
偽情報が招く深刻なリスク:戦争への連鎖
SNSでの言説が選挙結果に大きな影響を与える時代になりましたが、偽情報や誤情報の洪水に無策でいて良いはずがありません。選挙結果を歪めること自体が大きな問題であることに加え、そこから派生・連鎖するリスクは計り知れません。米国のあるリスクマネジメント会社の分析によると、「偽情報と誤情報」を起点に、「社会の二極化」→「人権や市民の自由の侵食」→「域内暴力(暴動など)」→「検閲と監視」→「国家間の武力紛争」と、最終的には「戦争」へと行き着いてしまう可能性も指摘されています。
新聞協会が示す新たな方向性:積極的なファクトチェックへ
では、このような状況下で新聞には何ができるのでしょうか。今回の参院選は、その答えを出す正念場であったと言えるでしょう。日本新聞協会は、今年6月に「インターネットと選挙報道をめぐる声明」を発表し、「選挙報道の在り方を足元から見直す」と宣言しました。この声明の主眼は、「選挙の公正」を過度に意識した報道から脱却し、たとえ特定の政党や候補者にマイナスになる結果を招いたとしても、積極的にファクトチェックを行うことでした。これは、マスメディアが現代の偽情報時代において、その信頼性と役割を再構築するための重要な一歩となるでしょう。
結論
参議院選挙におけるファクトチェックの経験は、マスメディアが直面する課題と、情報化社会におけるその新たな役割を浮き彫りにしました。SNSを通じた偽情報や誤情報の拡散は、選挙結果を左右するだけでなく、社会の分断から国際紛争に至るまでの深刻なリスクをはらんでいます。報道機関は、過去の「公正さ」に対する過度な意識を見直し、積極的かつ批判的なファクトチェックを通じて、真実を追求する姿勢を強化する必要があります。今回の選挙で見出された限界を乗り越え、マスメディアが信頼できる情報源としての存在意義を再確立し、健全な民主主義の基盤を守ることが、これからの時代に求められています。
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